1557(弘治3)年、戦国武将の三好長慶が父の菩提を弔うために建立した「南宗寺(なんしゅうじ)」は、「臨済宗大徳寺派」の寺院で、武野紹鴎、千利休が参禅した地。この場所で禅の精神を学び、「わび茶」を確立した。境内にある1647(正保4)年造営の「甘露門」は、禅宗様式と和様式の折衷による美を誇っている。
国際貿易などで大きな富を成した堺の商人たちの間で、「茶の湯」(現「茶道」)は広まっていった。この「茶の湯」を「わび茶」として発展させたのが、堺の商人出身の武野紹鴎(じょうおう・千利休の師匠)である。利休は織田信長、豊臣秀吉の茶頭(さどう)となり、歴史に名を残した。利休と今井宗久(そうきゅう)、津田宗及(そうぎゅう)は「天下三宗匠」と呼ばれる存在だった。また、茶請けの和菓子作りも盛んとなった。