写真でひもとく街の成り立ち

このまちアーカイブス
大宮の歴史は「氷川神社」の門前町としてはじまり、江戸時代には中山道の宿場町として、また1885(明治18)年には鉄道駅が設置されたことにより、首都圏有数の産業・経済・文化の中枢を担う街として発展してきた。駅を中心とした商業エリアと「見沼代用水」の灌漑による農業の盛んな地域とが隣接する。自然に抱かれた都市空間は、いにしえより水に親しみ自然に恵まれていた地域であることが良くわかる。歴史をひもとくと、時代の移り変わりとともに変化した街の様子と、当時と変わらぬ生活の営みとが今なお共存する街の魅力に気づかされる。
その地名の由来となった「武蔵国一の宮 氷川神社」
「氷川神社」の創建は孝昭天皇3年、今からおよそ2,400年前のこととされている。かつての武蔵国(埼玉、東京、神奈川)に点在するおよそ280社の「氷川神社」の総本社で、"武蔵国一の宮"としても信仰を集め多くの参拝客が訪れる。〈大宮〉という地名は「氷川神社」を"大いなる宮居"と称えたことに由来している。
誘致活動が実を結んだ念願の「大宮」駅設置
「大日本全国鉄道線路細見図」(1890(明治23)年)によると上野・大宮間の所要時間は55分だった。鉄道の分岐点となった大宮は交通・物流の要衝として発展し、「鉄道の町」としてあらたな発展を遂げてゆく。写真は1914(大正3)年に撮影されたホームの様子。
チンチン電車の呼び名で親しまれた「川越電気鉄道」
1906(明治39)年に川越久保町から、現在の国道16号線にほぼ沿って「大宮」駅西口までの約12.9kmにわたって敷設された「川越電気鉄道」。12の停車場が設けられ、所要時間は約45分。時速およそ25~30kmの自転車並みのスピードで走る電車は「チンチン電車」と呼ばれて親しまれていた。しかし、1940(昭和15)年の川越線の開業に伴い、翌年に廃止された。写真は1938(昭和13)年頃の五味貝戸付近の様子。
一時は東北新幹線の始発駅に
1982(昭和57)年6月に大宮・盛岡間に「東北新幹線」が開通し、始発駅となる。同年11月には大宮・新潟間に「上越新幹線」が開通し、東北・上信越方面への玄関口となった。その後も1992(平成4)年の「山形新幹線」、1997(平成9)年の「秋田新幹線」、「長野新幹線」と続き、埼玉県最大のターミナル駅として発展し続けている。
交通とまちづくり 「川越新道」と「大栄橋」
川越新道の交通量の増加に伴い、「大宮」駅構内にあった踏切を解消するため、1961(昭和36)年に完成した「大栄橋(たいえいばし)」。全長420mのアーチ型で、「大宮」駅の東西を結ぶ交通の要衝として「だいえいばし」の呼び名で親しまれている。写真は昭和20年代に撮影された川越新道の様子。
富士山を望む「中山道・大宮宿」の絵図
江戸時代後期に活躍した浮世絵師の渓斎英泉(けいさいえいせん)の「木曾街道 大宮宿富士遠景」。のどかな田園風景の向こうに雪を頂いた富士山が描かれている。江戸時代の五街道のひとつで江戸の日本橋と京都の三条大橋を内陸経由で結んだ中山道は、木曽を通るため「木曽路(木曾街道)」とも呼ばれ、参勤交代や大名や皇族のお輿入れにも利用された。
「鉄道の町」として発展する
1894(明治27)年には日本鉄道の大宮工場が操業を開始した。赤煉瓦造りの大宮工場は街の発展における重要な役割を担っていく。同工場は1987(昭和62)年の国鉄分割民営化により「東日本旅客鉄道会社大宮工場」となり、現在は「JR東日本大宮総合車両センター・大宮車両所」となっている。写真は1899(明治32)年の大宮工場全景。
鉄道網の発達と都市化する「大宮」の町
1929(昭和4)年には総武鉄道(現・東武野田線)、1932(昭和7)年には省線電車(現・京浜東北線)、1940(昭和15)年には川越線がそれぞれ開業し、交通網の発達とともに多くの人が行き交い都市化が進められていった。1965(昭和40)年には「大宮」駅に特急列車が停車するようになった(写真)。
「製糸の町」 へ 相次ぐ工場の進出
「片倉大宮製糸所」は現在の長野県岡谷市を発祥とする「片倉製糸」によって1901(明治34)年に開設された。当初は大宮町仲町にあったが、1916(大正5)年に現在の「さいたま新都心」駅前に移転し、工員は男女総数800人にまで成長。庭園が描かれた大正初期の写真(絵葉書)からも、当時の繁栄の様子がうかがえる。
古地図にみる「昭和初期の大宮」
「氷川神社」の門前町にはじまり、中山道の宿場町、多くの鉄道が集まり工場も立地した「鉄道の町」、そして「製糸の町」として歴史を重ねてきた大宮。この地図は1930(昭和5)年発行の地図に、昭和初期頃までの主要施設を示している。
「大宮宿」・「大宮」駅周辺には町が広がっているが、周辺部にはまだ樹林や畑も多く見られる。「大宮宿」の東側には芝川・「見沼代用水」が流れ、流路に沿って水田が広がっている。鉄道網も充実し、昭和初期にはすでに交通の要衝であったことがわかる。
この地図は、大宮における悠久の歴史のうちの、ごく一部を表現したものではあるが、街の歴史が現在の発展の礎であることを、視覚的に感じることができる。

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