写真でひもとく街の成り立ち

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大宮の歴史は「氷川神社」の門前町としてはじまり、江戸時代には中山道の宿場町として、また1885(明治18)年には鉄道駅が設置されたことにより、首都圏有数の産業・経済・文化の中枢を担う街として発展してきた。駅を中心とした商業エリアと「見沼代用水」の灌漑による農業の盛んな地域とが隣接する。自然に抱かれた都市空間は、いにしえより水に親しみ自然に恵まれていた地域であることが良くわかる。歴史をひもとくと、時代の移り変わりとともに変化した街の様子と、当時と変わらぬ生活の営みとが今なお共存する街の魅力に気づかされる。
「氷川神社」の門前町としてのはじまり MAP 1
「氷川神社」の周辺にはいくつもの集落が形成され、参道沿いに設けられた神主の邸宅や神社、寺院とともに門前町としてのはじまりを見ることができる。1985(昭和60)年からはじまった「氷川地区整備事業」により、中山道の「一の鳥居」から約2km続く参道の一部には公園も整備され、市民の憩いの場として親しまれている。写真は大正期の「二の鳥居」の様子。
現在、中山道の「一の鳥居」から約2kmにわたって参道が整備されている。一丁ごとに丁石が置かれ、参道沿いに全部で十八丁ある。
大宮の発展を支えた交通の要衝「中山道」 MAP 2
中山道の起点である江戸・日本橋から数えて4番目の宿場として栄えた「大宮宿」。かつては氷川参道の一部を通過していたが、神域を横切るため1628(寛永5)年に氷川参道の「一の鳥居」から分岐、南北にまっすぐな通行に便利な道として新たに開削され、現在へと至る。写真は1935(昭和10)年頃の「大宮」駅東口交差点あたりの様子。
現在の旧中山道と氷川参道との分岐点の様子。中山道が開通したことにより、大宮は宿場町としても発展していった。
桜の名所として親しまれてきた「大宮公園」MAP 3
「大宮」駅の開業とともに、1885(明治18)年の太政官布達により「氷川公園」の名称で誕生した「大宮公園」。1898(明治31)年より県の管理となり、現存する埼玉県営公園の中では最も長い歴史を持つ公園。67.8ヘクタールもの広大な敷地には約1,000本もの桜が植えられ、桜の名所としても知られている。写真は大正期のもの。
1990(平成2)年には、公益財団法人「日本さくらの会」が選定した「日本さくら名所100選」に選ばれている。
本多静六らにより整備が進められた「大宮公園」 MAP 4
林学博士であり造園家、日本の「公園の父」とも呼ばれる本多静六らにより、1921(大正10)年に「氷川公園改良計画」が立案され、全国に先駆けて県営の野球場や陸上競技場などが設計された。1934(昭和9)年には大宮球場の新設を記念して、日米親善野球大会が開催されベーブ・ルースが訪れたことでも知られている。写真は昭和戦前期の「埼玉県営グランド」の様子。
1960(昭和35)年には日本初のサッカー専用球技場も開場している。1964(昭和39)年には東京オリンピックの会場としても使用された。
職人が思い描いた理想のまちづくり「大宮盆栽村」 MAP 5
関東大震災により被災した東京の盆栽業者が、盆栽づくりに適した広い土地、土壌、きれいな水と空気を求めて集団移住し、1925(大正14)年に誕生した「大宮盆栽村」。最盛期には30軒以上もの盆栽園があったようで、海外の盆栽愛好家や世界各国の要人も多く訪れている。あらたな土地を開拓するにあたり、移住してくる盆栽業者に合わせた区画整理事業が採用され、当時としては画期的な町並みが形成された。6間(約10.8m)もの道幅のある広い道路と、300~1,500坪をひと区画としたゆったりした区画が特徴で、街路樹には柳や銀杏、桜が植えられた。写真は昭和初期のもの。
現在、閑静な住宅地になっている盆栽町には「芙蓉園」「九霞園」「清香園」「蔓青園」「藤樹園」の盆栽園があり、さいたま市の伝統産業事業所にも指定されている。
誘致活動が実を結んだ念願の「大宮」駅設置MAP 6
日本初の私鉄・日本鉄道により上野・熊谷間で鉄道が開通した1883(明治16)年には、大宮には駅が設置されなかった。しかし町の衰退を危惧した白井助七を中心とした地元有志が駅設置運動を展開し、2年後の1885(明治18)年3月16日に現在の高崎線と東北本線との分岐駅として「大宮」駅が設置された。写真は1907(明治40)年頃の「大宮」駅の様子。
現在の「大宮」駅。JR各線や新幹線、東武野田線やニューシャトルが乗り入れる埼玉県最大のターミナル駅。
「鉄道の町」として発展する MAP 7
大宮工場では客車や貨車の修繕・補修が主な業務として行われてきたほか、戦前には蒸気機関車の製造も行われるようになった。工場の規模こそ縮小したものの、敷地の一部に「鉄道博物館」が開設され、大宮の新たな魅力として注目を集めている。「JR東日本大宮総合車両センター」では「鉄道ふれあいフェア」と称したイベントも開催され、多くのファンに親しまれている。
2007(平成19)年10月14日の「鉄道の日」にオープンしたJR東日本の「鉄道博物館」。「秋葉原」駅付近にあった「交通博物館」を引き継ぐ形で開設された。
「製糸の町」 へ 相次ぐ工場の進出 MAP 8
国をあげて殖産興業が進む中、長野県を発祥とする複数の製糸会社が大宮に進出し、本格的な製糸工場が設立された。北関東の養蚕地と生糸を積み出す横浜港との間に位置する大宮は集積地としての利便性が良く、「片倉製糸(現・片倉工業株式会社)」や「大宮館製糸(後の三栄製糸)」、「山丸製糸」などが進出した。「鉄道」と「製糸」の2つの産業が大宮の発展を担う産業の柱となり、その後の大宮の街を大きく発展させていった。写真は1921(大正10)年に撮影された「片倉大宮製糸所」の外観で、氷川参道の「一の鳥居」の近くに大規模な設備を備えていた。
78,000坪もの広大な敷地を有した「片倉大宮製糸所」の跡地には、大規模な商業施設が建てられている。「コクーン(まゆ)」という製糸業に関連する名称が、その歴史を伝えている。
山丸製糸所 MAP 9
後に製糸王と言われた越寿三郎が創業した長野県須坂市を拠点とする「山丸製糸」。大宮に進出したのは1907(明治40)年のことで、氷川参道沿いに15,000坪の敷地を有し、「山丸製糸」のなかで最も規模の大きい工場だった。写真は1910(明治43)年に撮影された全景。
「大宮山丸製糸所」の跡地には、C12型式の蒸気機関車が展示され、社名にちなんだ「山丸公園」として親しまれている。
「大宮高等学校」の前身 工場内に設立された教育施設 MAP 10
県内有数の進学校として知られる「埼玉県立大宮高等学校」。片倉工業株式会社が出資、設立した「片倉学園」や「埼玉県大宮女子高等学校」などを前身とし、1951(昭和26)年に開校した。写真は1951(昭和26)年頃の校門付近の様子。
校内には今井五六の銅像が建てられ、当時、片倉松本製糸所にあったハナミズキが移植されている。
「渡辺組大宮製糸所」創業者が誘致した病院MAP 11
1934(昭和9)年に設立された「日本赤十字社埼玉支部療院(現・さいたま赤十字病院)」は一時、「大宮赤十字病院」と呼ばれていた。1911(明治44)年に「渡辺組大宮製糸所」を創業し、その後、与野町長も務めた渡辺綱治が土地の提供と多額の寄付で病院誘致に貢献した。写真は1934(昭和9)年のもの。
現在は「さいたま赤十字病院」に名称を変え、県内有数の基幹病院として大宮の地域医療に貢献している。2016(平成28)年度に建物の老朽化などの理由から、「さいたま新都心」駅付近へと移転となる予定。
交通とまちづくり 「川越新道」と「大栄橋」 MAP 12
川越新道の交通量の増加に伴い、「大宮」駅構内にあった踏切を解消するため、1961(昭和36)年に完成した「大栄橋(たいえいばし)」。全長420mのアーチ型で、「大宮」駅の東西を結ぶ交通の要衝として「だいえいばし」の呼び名で親しまれている。写真は1960(昭和35)年の「大栄橋」の様子。
川越新道とも呼ばれていた道は、埼玉県道2号さいたま春日部線として「大宮」駅の東西を結ぶ重要な道路となっている。
銀座通り 戦後の活気は商店街からMAP 13
戦後の混乱を経て交通の要衝として多くの人が集まり、活発な商業活動が行われた。1953(昭和28)年に「大宮銀座商店街協同組合」が結成され、商業都市として発展していく。写真は1960(昭和35)年に撮影された「大宮」駅東口の銀座通りの夜景。
老朽化したアーケードの撤去と電線の地中化により2012(平成24)年に整備された「大宮銀座通り商店街」。
戦争を経て姿を変えた「大宮競馬場」 MAP 14
1931(昭和6)年に開設された「大宮競馬場」。1,600mのコースを備えた本格的な競馬場で全国三大競馬と称された。1938(昭和13)年に競馬場としての役目を終えた後は、「中島飛行機製作所」として航空機の生産拠点に変わり、戦後は「富士重工業大宮製作所」となった。写真は1932(昭和7)年のもの。
「富士重工業大宮製作所」の跡地の一部には、2004(平成16)年に大型商業施設の「ステラタウン」が開業した。
賑わう大宮 「 大宮」駅東口の街並み MAP 15
氷川神社の門前町、中山道の宿場町として、いずれも発展の中心は東口側にあった。さらに戦後になると、「大宮」駅の東口には1962(昭和37)年に「大一デパート」、1966(昭和41)年に「大宮中央デパート」が開業、その他にも高島屋、西武百貨店、長崎屋などが進出し、賑わいを見せる。近隣の商店街も共存していたこともあり、埼玉県最大の商業地となった。その後、「ソニックシティ」の完成など、西口地区の開発にともなって、現在では西口・東口ともに賑わいを見せている。写真は昭和初期の「大宮」駅東口前の通りの様子。
賑わいの中心にあった東口。現在、駅前に大型の複合施設ビルの建設が予定されるなど、さいたま市による駅周辺の都市計画に基づき、新たに再開発事業が進められている。
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