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清酒のふるさと


神功皇后ゆかりの「廣田神社」 兵庫県第一の古社 MAP __

古代史に登場する神功皇后にゆかりがある「廣田神社」は、兵庫県第一の古社。古くは「甲山(かぶとやま)」の山麓にあり、幾度かの遷座を行い、現在は「広田山」の山麓に鎮座する。かつて「六甲山」はこの神社の社領だったとされ、山頂近くの「六甲山神社」は「廣田神社」の境外末社となっている。御祭神は「天照大御神之荒御魂(あまてらすのおおみかみのあらみたま)」で、社伝によれば創建は、201(神功皇后摂政元)年。1871(明治4)年には、兵庫県内で唯一の官幣大社となった。【画像は1932(昭和7)年頃】

広大な緑の森に囲まれて、荘厳な構えを見せる「廣田神社」の拝殿。

「十日えびす」で有名 全国「えびす神社」の総本社 MAP __

全国にある「えびす神社」の総本社で、地元では「西宮のえべっさん」と親しまれている「西宮神社」。創建は不明だが、「大阪湾」から漁師が引き上げた御神像を祭ったのが起源とされ、中世には「廣田神社」の「浜南宮」となっていた。御祭神は「えびす大神(蛭児大神)」「天照大御神」「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」「須佐之男大神(すさのおのおおかみ)」。毎年1月10日前後の3日間行われる「十日えびす」は、福笹を求める大勢の人で賑わい、本えびす(10日)の「開門神事福男選び」も全国的に有名となっている。【画像は明治後期】

写真は、境内の南東に位置し、南北に通る「えべっさん筋」に面して開かれた「西宮神社」の表大門(赤門)と石の鳥居。

「辰馬本家酒造」の生み出した清酒「白鹿」 MAP __

「辰馬本家酒造株式会社」は、清酒「白鹿」で有名な酒造家で、西宮に本社を置いている。その起源は、江戸時代の1662(寛文2)年、初代辰屋吉左衛門が西宮の自宅の井戸から採った水で酒造りを行ったことにある。「白鹿」の名称は、古代中国の「神仙思想」に登場する白い鹿によるもの。初代は酒造りとともに酒樽の製造も行ったという。やがて、良質の井戸水である「宮水」の販売や、樽廻船による回漕業、金融業も手掛け、明治以降は本業の「辰馬本家酒造」を中心に「辰馬汽船」「辰馬海上火災保険」などを含む「辰馬財閥」へと発展した。また、「甲陽中学校」(現「学校法人辰馬育英会甲陽学院」)にも深く関わり、辰馬家所有の土地を校地として提供するなど、地域にも貢献した。写真は冬の酒造時期に備え、全ての道具を洗浄・整備する「秋洗い」の様子。【画像は明治中期~後期】

「辰馬本家酒造」は2012(平成24)年に創業350周年を迎えた。写真は「戎(えびす)蔵」の様子。


小浜・今津・西宮の酒造 MAP __(小浜宿跡) MAP __(今津灯台)

麹つくりの様子

麹つくりの様子

兵庫県内の「灘五郷」は全国的にも有名な「清酒のふるさと」である。この五郷とは東から、西宮市内の「今津郷」「西宮郷」、神戸市内の「魚崎郷」「御影郷」「西郷」であるが、歴史的にその地域は大きく変化してきた。江戸時代以前は伊丹(現・兵庫県伊丹市)、池田(現・大阪府池田市)を含めて、摂津・和泉国(現・大阪府、兵庫県)に「摂泉十二郷」という「酒どころ」があった。この中の一つ小浜(こはま)村(現・兵庫県宝塚市小浜)には、「有馬街道」、「京伏見街道」などが交わり交通の要衝として栄えた「小浜宿」があり、「小浜流」という酒造も存在した。

江戸前期には「今津郷」「上灘郷」「下灘郷」が「灘目(なだめ)三郷」と呼ばれ、このうちの「上灘郷」が「東組(魚崎郷)」「中組(御影郷)」「西組(西郷)」の三つに分かれて、1828(文政11)年に「灘五郷」が誕生した。後に「下灘郷」は衰退したが、1886(明治19)年に「西宮郷」が加わり、現在まで続いている。そのうち、西宮市内には「今津郷」と「西宮郷」がある。

古い歴史を有する「今津郷」の代表的な酒造家の「大関」は1711(正徳元)年に初代大坂屋長兵衛が、創業したことに始まる。当主である長部(おさべ)家は樽廻船の安全を図るために民営の燈台「今津灯台」を設置したことでも知られる。1964(昭和39)年には、業界に先駆けて、一合カップ容器入りの清酒「ワンカップ大関」を発売した。

「西宮郷」には、「白鹿」「白鷹」「日本盛」をはじめとする多数の銘柄がひしめきあってきた。この地では、「宮水」と呼ばれる良質の井戸水を使用できたことが、酒造を後押しした。「宮水」は「魚崎郷」の酒造会社である「櫻正宗」当主、山邑太左衛門が、1840(天保11)年に発見したとされる。「白鹿」の銘柄で有名な「辰馬本家酒造」は、1662(寛文2)年創業の老舗で、「灘の酒」を代表する酒造家となって現在まで続いている。



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