写真でひもとく街の成り立ち

このまちアーカイブス
名古屋は、東海地方の中心都市であり、日本を代表する大都市の一つである。江戸時代には、徳川御三家の一つ、尾張家の城下町として発展したが、その前には、織田信長、豊臣秀吉、加藤清正ら多くの戦国武将を生んだ場所でもあった。また、東海地方の交通の要として「名古屋」駅を核とした道路整備、街づくりが行われた。現在の名古屋市内にある「熱田神宮」、「名古屋城」、「徳川美術館」などは、全国的な名所、観光スポットとして知られている。歴史を振り返れば、折々に開催された博覧会、共進会がこの街を発展させた。また、「松坂屋(いとう呉服店)」、「ノリタケ」、「トヨタ自動車」などの企業が全国に進出していった。
東海道の海路 「七里の渡し」 宮と桑名を結ぶ
江戸時代の東海道では、41番目の宿場「宮(熱田)宿」と、42番目の宿場「桑名宿」の間は、海上で結ばれていた。この間の航路は「七里の渡し」と呼ばれ、約4時間を要した。(画像は1880(明治13)年)
関西急行電鉄(現・「近鉄」)開通 名古屋には地下駅が
現在の近鉄(近畿日本鉄道)が、「名古屋」駅への乗り入れを果たしたのは1938(昭和13)年。当時の社名は「関西急行電鉄」で、当初から地下駅として誕生、「関急名古屋」駅と呼ばれた。(画像は昭和前期)
明治創業の現役企業 偵察機などを生産
1898(明治31)年、各種時計の製造を目的に設立された「愛知時計製造」は1912(明治45)年、「愛知時計電機」と社名を変更。戦前から戦中にかけては、子会社も含めて、偵察機などの航空機製造にも携わった。現在は水道メーター・ガスメーターなどの計測機器や計測システムのメーカーとして人々の暮らしを支えている。(画像は昭和前期)
かつての中日ドラゴンズ本拠地 後に「ナゴヤ球場」に改称
かつて中日ドラゴンズの本拠地であった「中日スタジアム(現・「ナゴヤ球場」)」。1948(昭和23)年、軍需工場の跡地に建設され、公式戦では翌年から使用された。その後、火災による全焼を経て再建された。(画像は昭和中期)
観光地図で巡る「昭和中期の名古屋」
この地図は、名古屋中心部を描いた1959(昭和34)年の観光地図である。
まず目に入るのが、1954(昭和29)年に完成した「名古屋テレビ塔」。周りの建物よりもひときわ大きく描かれており、当時から名古屋のシンボル的な存在であったのだろう。
まだ東海道新幹線は走っておらず、地下鉄の開通は一部路線であったため、地図内には市電が描かれており、当時の街並みに溶け込んでいた様子がわかる。また、「名古屋城」のお堀を走る名鉄瀬戸線(瀬戸電)が、「堀川」駅へと通じていた。
「大須観音」そばの「名古屋スポーツセンター」は1953(昭和28)年に開業した、通年営業のスケートリンク。今では多くの世界的なフィギュアスケート選手を輩出している。また、地図右下には中日ドラゴンズ一軍の本拠地として使用されていた「中日スタジアム(現・「ナゴヤ球場」)」も見える。
「大須観音」門前や「円頓寺通」、「筒井町通」には、アーケード商店街の存在が示されているのが興味深い。「名古屋」駅から栄地区の間には建物が密集して描かれており、駅前と栄を中心とした賑わいの様子を感じ取ることができる。
名古屋電気鉄道が市電のルーツ 1898年に最初の路線
名古屋市内に京都に次ぐ、日本で2番目の路面電車を開通させたのは、私鉄の「名古屋電気鉄道」であった。後に名古屋市電となる市内線は1898(明治31)年、笹島(「名古屋」駅前)・県庁前(久屋町)間が開業した。(画像は昭和前期)
「御大典奉祝名古屋博覧会」 昭和天皇の即位記念
1928(昭和3)年、昭和天皇の即位記念のほか生産の改善・商勢の拡大を目的として、名古屋勧業協会が主催して行われた博覧会。約3カ月の期間中、約194万人の入場者を集めた。「第10回関西府県連合共進会」に続いて、「鶴舞公園」が会場となった。(画像は1928(昭和3)年)
1957年、地下鉄が開通 地下街も誕生
名古屋の地下鉄建設計画は戦前からあったが、戦後の1957(昭和32)年11月15日に1号線(現・東山線)の名古屋・栄町間が開通した。同年3月18日には地下鉄開通に先駆けて、「名古屋」駅地下に「ナゴヤ地下街(現・「名駅地下街サンロード」)」が誕生した。(画像は昭和中期)
新しい空の玄関口 1958年に小牧飛行場を改称
「名古屋空港」の前身は、1944(昭和19)年に建設された旧陸軍の「名古屋地方防空飛行場(小牧飛行場)」。戦後は米軍の管理下に置かれていたが、1958(昭和33)年に返還され、「名古屋空港」となった。2005(平成17)年の「中部国際空港」の開港により、国の管理を離れ、「県営名古屋空港」となった。(画像は昭和中期)

※企画制作協力/画像古地図提供 / 長坂英生(名古屋タイムズ・アーカイブス委員会)、生田誠

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