写真でひもとく街の成り立ち

このまちアーカイブス
京都府 京都
平安京誕生前の奈良時代後半は、平城京から難波京、長岡京などへ遷都が繰り返された。794(延暦13)年、平安京が新都に定まると、この地は1000年以上、日本の都として繁栄した。しかし、明治維新を機に東京に首都が移ると、その賑わいにも一時翳りが見られるようになる。
そんな中で、文明開化の波に取り残されないよう、明治から大正にかけて、近代都市への大改造に伴う事業が展開されていった。「琵琶湖疏水」、日本初の電車開通、鉄道の敷設…。これらは新しい京都の街の財産になった。
さらに1895(明治28)年に同時開催された、「平安遷都千百年紀念祭」と「第4回内国勧業博覧会」は経済・文化の再生と発展に大きな役割を果たした。
近代化の一方、多くの名所旧跡が残されており、内外から絶えず観光客が訪れる街となっている。
京都電気鉄道、京都駅前 1895(明治28)年、日本初の電車開通
首都を東京に譲った京都では、新しいものを取り入れる動きが次々と起こった。そのひとつが、日本最初の営業用電車の開通である。当初は市営ではなく、民間の京都電気鉄道の手で、「京都」駅前・京橋(伏見)間に開業した。この電車は「琵琶湖疎水」による水力発電の電力を使用し運行していた。写真は明治中期のもの。
友禅染 鴨川の水でさらした、優美な伝統工芸品
友禅染
友禅染の名称は江戸時代の扇絵師、宮崎友禅斎に由来する。京で生まれた「京友禅」は加賀(石川県)にも伝わり、現在では「加賀友禅」も有名である。この京友禅の手描きの色彩の美しさは、鴨川の水でさらされて生まれるといわれている。写真は昭和戦前期のもの。
祇園祭(八坂神社) 京都の暑い夏を彩る、ロングランの催し
「祇園祭」は7月1日の「吉符入り」に始まり、「くじ取り式」(2日)、「宵山」(16日)、「山鉾巡行」(17日)、「神輿洗」(28日)…と約1か月間続く。写真は、大正期のもので、四条通に市電が走っていた頃の山鉾巡行前の風景。市電と鉾のサイズが比較できる1枚である。
時代祭(平安神宮) 王朝の雅を再現、平安神宮に続く
1895(明治28)年に「平安神宮」が創建されて、この「時代祭」が始まった。明治維新から江戸、安土桃山…平安時代、延暦時代までの時代風俗に身を包んだ人々が、都大路を練り歩く行列が見どころ。毎年10月22日に行われている(雨天順延)。写真は昭和戦前期のもの。
春「嵐山の桜」 桜花に彩られた渡月橋
京都には桜の名所が多く、市民ひとりひとりがお気に入りのお花見の場所をもっている、といっても過言ではない。「円山公園」、「清水寺」、「哲学の道」、「仁和寺」…。そのひとつとして、京都観光の人気スポット、「嵐山・渡月橋」の桜も挙げられる。写真は明治後期のもの。
秋「通天橋の紅葉」 紅葉の海を渡る、東福寺の名橋
京都五山のひとつ、臨済宗東福寺派の大本山、「東福寺」には国宝の三門のほか、多くの伽藍(がらん)や塔頭(たっちゅう)が存在するが、観光客に最も人気があるといわれているのが、この「通天橋」である。本堂から常楽庵に至る屋根付きの橋で、秋の紅葉の時期が観光のピークとなる。写真は明治後期のもの。
都をどり(祇園) 舞妓、芸妓の舞姿が、内外の客を魅了する
「都をどりはよーいやさー」の掛け声で始まる舞妓、芸妓たちの踊りは、目と耳で楽しむものといえる。その後に祇園、花見小路付近の料亭で、舌(味)の醍醐味を経験するもよし。1872(明治5)年の初演以来、4月の京都、「祇園甲部歌舞練場」で繰り広げられる舞台は、京の伝統のおもてなしである。写真は明治後期のもの。
大石内蔵助ゆかりの祇園のお茶屋「一力亭」
現在も四条花見小路沿いに店を構える「一力亭」は、創業約300年といわれる祇園を代表するお茶屋。歌舞伎の名作『仮名手本忠臣蔵』の、大石内蔵助がモデルとなった「大星由良助」が訪れる茶屋として登場する。この店の前には祇園の女性、特に舞妓たちの姿がよく似合う。写真は大正期~昭和戦前期のもの。
舞妓の歌舞 鴨川の川床で味わえる古都のおもてなし
鴨川沿いの料亭は古くから夏の京都の社交場であり、涼を求める観光客が現在も内外からやってくる。岸辺の風景や川風とともに、料理を味わう席には、ときに先斗町、宮川町、祇園の舞妓、芸妓も参加し、客をもてなす。時代は変わっても、その流儀は変わらない。写真は明治後期のもの。
京焼・清水焼 名工を輩出した焼き物の里
この写真は、「洛東名産陶器販売所」の文字が見える陶器店の店先で、清水坂近辺と思われる。現在は伝統工芸品の「京焼・清水焼」として京都府知事指定を受けているが、京焼としては江戸時代に野々村仁清、尾形乾山らの名工を輩出した。写真は明治後期のもの。
西陣織 職人の技術が豪華な衣装を生み出し続ける
「西陣」は京都の地名であり、そのルーツは応仁の乱の際、山名宗全が敷いた西軍の本陣にある。ここは京都の絹織物の産地として発展し、西陣織は世界に通用するブランド名となった。これは明治後期の写真で、「丁場」と呼ばれた職人の作業場の様子である。
葵祭(上賀茂神社・下鴨神社) 三勅祭のひとつは、春の観光シーズンに
京都三大祭りは、春の「葵祭」、夏の「祇園祭」、秋の「時代祭」と、開催の季節が分かれている。中でも、この「葵祭」は「源氏物語」にも記載がある王朝貴族の祭りである。毎年5月15日に行われている(雨天順延)。写真は明治後期のもの。
牛祭(太秦・広隆寺) 広隆寺の夜祭、京都三大奇祭のひとつ
「今宮神社」の「やすらい祭」、「鞍馬神社」の「火祭」とともに、京都三大奇祭とされている「牛祭」は、国宝の弥勒菩薩半跏像で知られる祭りで、牛に乗った摩多羅神が寺内を巡る。古くから旧暦9月12日に行われ、近年は10月12日に開催していたが、牛の調達の問題により現在では不定期の開催となっている。写真は大正期のもの。
夏「鴨川の川床」 川遊び・夕涼み、庶民の楽しみ
鴨川の真ん中付近まで、川床が広がっている現在では珍しい風景である。中央に長く架かっているのが、現在は姿を消した「竹村屋橋(車道橋)」。いまは先斗町でこの橋の痕跡を見ることができる。写真は明治後期のもの。
冬「金閣の雪」 古都の静けさを際立たせる白い世界
写真は明治後期の、雪化粧をした「金閣寺」の様子。古くから京都に住む人は「京都に雪が降らなくなった」というが、この写真が撮られた時代には、こんな風景がどこの寺院でも見られたのだろう。盆地である京都は北側の標高が高く、上京(かみぎょう)には雪が多く降る。現在でも雪が降ると、「金閣寺」にも、多くの人々がこの景色を求めて訪れる。
大原女(小原女) 近郊の里から都に物資を運ぶ女性たち
一説には、大原女の衣装は建礼門院に仕えた侍女、阿波内侍がモデルだという。近郊の大原、八瀬、白川、桂の里などから、物売りの女性たちが薪、炭、野菜などを頭の上に乗せ、都へやってきた。そんな女性たちの中でも有名なのが「大原女」で、京女のひとつのイメージが定着した。写真は明治後期のもの。
八坂神社の南楼門前 室町時代から続く老舗料亭・中村楼
「八坂神社」表参道の「二軒茶屋」として、約450年以上の伝統がある老舗料亭。「祇園祭」では、潔斎した当主が「八坂神社」に稚児餅を奉納することでも知られる。写真は昭和戦前期のもの。
古地図で巡る「昭和中期の京都」
市電が走る碁盤の目の電車通りとともに、国鉄(現・J R)と私鉄の路線も描かれた、京都の観光地図である。京都では、旅館がこうした観光地図をそれぞれの宿泊客に配布していた。山に囲まれた京都の街(盆地)の中で、目立つのは鴨川と「御所」である。この地図を見れば、京都の至るところに観光スポットがあることがわかる。

※企画制作協力/画像古地図提供 / 生田 誠、森 安正

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