写真でひもとく街の成り立ち

このまちアーカイブス
古来、兵庫港(かつての大輪田泊)は、日宋貿易の中心として栄えていた。一方、神戸は、砂浜が広がる小さな寒村に過ぎなかった。1858(安政5)年、日本は、米英仏露蘭の5カ国と修好通商条約を締結。幕府は開港場として兵庫を定めたにもかかわらず、海域を測量した結果、入り江が港として適していたことなどから、神戸に居留地が設けられた。そして、この地が後には日本を代表する港町の一つとして発展を遂げることになる。外国人居留地から様々な西洋文化が伝わり、隣接する元町は、ハイカラな品々の並ぶ商業地として賑わった。
「海岸通」とオリエンタルホテル 明治後期
1907(明治40)年、居留地6番に建てられたオリエンタルホテル。ゲオルグ・デ・ラランデ(北野異人館・旧トーマス邸「風見鶏の館」を手掛けた)とヤン・レッツェル(広島県物産陳列館、後の原爆ドームの設計者)による共同設計。当時、東洋一のホテルと評された。1916(大正5)年、東洋汽船の浅野総一郎が買収。この建物は1945(昭和20)年、空襲で焼失した。
戦前神戸屈指の高級ホテル「トアホテル」 大正期
トアホテルは、1908(明治41)年開業の戦前の神戸屈指の高級ホテル。「浜のオリエンタル、山のトア」と並び称された。この西洋建築の設計は、異色の建築家・下田菊太郎による。山に近かったため、神戸大空襲では被害を免れたが、惜しくも、1950(昭和25)年、失火により焼失。トアホテル跡地は現在「神戸外国倶楽部」となっている。
六甲山のスケート場 昭和初期
六甲山には、明治の頃から製氷池が幾つもあり、夏場に氷を切り出して麓の街に提供していた。しかし、昭和初期に電気による冷凍庫が広まると、多くの製氷池は、再利用されスケート場に生まれ変わった。
諏訪山温泉 明治後期~大正初期
1872(明治5)年頃、諏訪山のふもとで鉱泉が発見され、温泉施設が作られた。画面左の階段は、諏訪山に登る道。
生田神社前陸橋から眺めた三ノ宮停車場 明治後期~大正初期
かつての三ノ宮停車場は、現在の元町駅辺り、三宮神社の近くにあった。1931(昭和6)年、三ノ宮駅を高架駅にするため、駅の位置が東に600m移動し、現在の場所となった。
日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」 大正後期~昭和初期
1901(明治34)年、日本初のゴルフコースが六甲山麓に開設。クラブハウスは1932(昭和7)年竣工。設計はW. M. ヴォーリズ。開設当初は4ホールだが、1903(明治36)年に9ホールに拡張。同年、神戸ゴルフ倶楽部が発足した。
諏訪山動物園 昭和初期
諏訪山動物園は1928(昭和3)年、諏訪山公園内に開園した。現在は諏訪山こどもの広場となったが、実は動物園の頃の檻(おり)の形が残っている部分もある。戦後すぐに、諏訪動物園は閉園となり、飼われていた動物は、1951(昭和26)年に開園した王子動物園に引き取られた。動物たちはトラック30台で運ばれたが、トラックでの運搬が困難だったゾウの諏訪子と麻耶子は、晴れ着姿で歩いて王子動物園へ移動した。
宇治川河口にあった「神戸三井組銀行」 明治初期
神戸三井組銀行は、宇治川河口に1877(明治10)年頃建てられたといわれる。1886(明治19)年、宇治川河口西側の海岸(弁天町)を、宮内省が購入し、明治天皇御用邸が置かれた。

※企画制作協力/画像古地図提供 / 原島 広至

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