写真でひもとく街の成り立ち

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JR中央線と京王井の頭線が交わる交通アクセスの要衝でもある「吉祥寺」駅。開業当時は農村が広がるだけだった駅周辺だが、関東大震災や第二次世界大戦といった激動の時代、そして昭和30年代後半から始まる都市計画を経て、大きく発展を遂げている。「井の頭恩賜公園」に代表される武蔵野の豊かな自然と、多彩なショッピング施設に恵まれた「吉祥寺」は、住みたい街ランキングで上位をキープするほどの人気を集める街になった。
古い写真からこの街の歴史をひもとき、成熟した「吉祥寺」の人気の秘密を探ってみたい。
発展のきっかけとなる「吉祥寺」駅の開設 MAP 1
1889(明治22)年4月11日、「新宿」駅から「立川」駅間に甲武鉄道(現・JR中央線)が開通した。「吉祥寺」駅が開設されたのは、1899(明治32)年12月30日。当時、駅の出入口は北側のみであった。写真は1905(明治38)年の様子。
※2016年1月下旬「境停車場」の写真であると変更されました。(武蔵野市HP)より
「吉祥寺」駅には京王井の頭線も乗り入れ、乗り換え駅として発展。現在は、中央線、井の頭線ともに高架上にホームが設けられている。
リベラル・アーツを柱とする伝統校「東京女子大学」 MAP 2
1918(大正7)年に、新渡戸稲造を初代学長として開校した「私立東京女子大学」は、1924(大正13)年に吉祥寺に近い井萩村(現:杉並区善福寺)に移転。その後、広場の周囲に、建築家のアントニン・レーモンド設計の建物が造られた。写真は1925(大正14)年の様子で左手は現在も使用されている西校舎(現:7号館)。
現在も広場の周辺には、大正から昭和初期の建物が残る。本館は「新渡戸記念室」として、チャペル・講堂は礼拝やコンサートなどに使われている。
今も移転当時の建物が残る「成蹊学園」 MAP 3
中村春二が創立した「成蹊学園」は、1924(大正13)年に池袋から現在地に移転した。学園本館はこの当時に建てられたもの。1925(大正14)年には成蹊高等学校(旧制・7年制)が開設、小学校から13年の一貫教育体制が確立された。
正門からけやき並木越しに見える本館の姿は移転当時の面影を感じさせる。
最先端の航空エンジン工場「中島飛行機 武蔵製作所」 MAP 4
1937(昭和12)年、陸軍による航空エンジン工場の拡張要請に応じ、「中島飛行機 武蔵製作所」の建設が始まった。当時は最新鋭の設備を誇っていたこの工場だが、1945(昭和20)年4月7日、米軍機の爆撃により焼失している。跡地は様々な議論を経て、現在、集合住宅や陸上競技場、公園などとして利用されており、吉祥寺におけるまちづくりの象徴的な場所となっている。
「中島飛行機」東工場の跡地は、スポーツ施設として開発が行われ、1951(昭和26)年に「東京グリーンパーク球場」がオープンする。この球場では六大学野球や、プロ野球の試合も開催され、「東日本一の大球場」とも呼ばれた。写真は1951(昭和26)年、六大学野球の試合の様子。
東京グリーンパーク球場の面影を残す 「武蔵野緑町団地」 MAP 5
砂埃や交通アクセスの問題により、試合が行われなくなった「東京グリーンパーク球場」は、都営アパートの用地として、1956(昭和31)年に日本住宅公団(現・UR都市機構)に買収され、取り壊されることとなる。その後、1958(昭和33)年に「武蔵野緑町団地」が誕生。団地内のカーブを描く道路に、かつて球場であった名残をとどめている。写真は1958(昭和33)年の様子。
「武蔵野緑町団地」は1996(平成8)年から2003(平成15)年にかけてリニューアルされ、「武蔵野緑町パークタウン」として生まれ変わった。
「中島飛行機」の運動場は市民の「武蔵野陸上競技場」へ MAP 6
戦後、「中島飛行機」の工場敷地内にあった陸上競技場やプールなどを活用したスポーツ施設の開発が計画された。「中島飛行機」の陸上競技場は、「武蔵野陸上競技場」として整備されたほか、工場跡地には市営サッカー場、市営野球場などが造られていった。写真は1958(昭和33)年の「武蔵野陸上競技場」の様子。
1989(平成元)年、隣接地に総合体育館・温水プールが完成。「武蔵野陸上競技場」もリニューアルされ、総合体育館と一体のスポーツ施設になった。
バス路線の拠点「吉祥寺」駅北口駅前 MAP 7
写真は、1963(昭和38)年の「吉祥寺」駅北口。周辺地域からのバス路線が集まり、その台数は1日500台を超えていたという。「吉祥寺」駅の利用客も11万6,000人にのぼり、「吉祥寺」駅周辺は大いに賑わいをみせていた。
現在も「吉祥寺」駅には多くのバス路線が集まる。武蔵野市のコミュニティバス「ムーバス」も乗り入れるようになった。
バスも往来していた「駅前通り」MAP 8
現在の「サンロード」は、かつて「駅前通り」と呼ばれていた。当時「五日市街道」から「吉祥寺」駅北口に抜ける道がここしかなかったため、バス、トラック、歩行者等は全てこの通りに集中していた。また、明確に歩道が設けられていなかったため、車と歩行者が一緒に通行していた。写真は1965(昭和40)年の様子。
再開発で「吉祥寺」駅前に商業ビルが出来始めるなど、大きく変わっていく中で、1971(昭和46)年にアーケードが完成。「駅前通り」の東側に「吉祥寺大通り」が出来たことで、バスなどの車の危険から解放された商店街となった。
吉祥寺の街の南北を結ぶ「公園通り」 MAP 9
「井の頭公園」を縦断することから「公園通り」とも呼ばれている「吉祥寺通り」。写真は1965(昭和40)年の「公園通り」の様子。昭和40年代から拡幅事業が行われ、1981(昭和56)年に完了した。
駅北口を出て西へ進むと突き当たる、南北に延びる大きな通りが「公園通り」。中央本線を挟んで北側には商業ビルが立ち並び、南側には「井の頭公園」沿いに並木道が続いている。
かつてはアーケードがあった「平和通り商店街」 MAP 10
「吉祥寺」駅北口から「吉祥寺通り」に伸びる「平和通り商店街」には、現在と異なりアーケードが設けられていた。しかし、都市計画による駅周辺の再開発に伴い「平和通り」は拡張され、アーケードは撤去された。写真は1966(昭和41)年の様子。
「平和通り商店街」は、2010(平成22)年に50周年を迎えた。街路灯をLEDに取り換え、通りのリニューアルも行われた。
中央線と井ノ頭通りが交差していた井之頭踏切 MAP 11
かつての中央線は地上を走っており、井ノ頭通りなどの幹線道路とも踏切で交差していた。写真は1966(昭和41)年の様子。当時は「開かずの踏切」と呼ばれていた。その後、高架化、複々線化が順次進められれることとなる。
現在の様子。「吉祥寺」駅周辺の踏切は高架化事業によって廃止された。
高架化により誕生した駅ビル「吉祥寺ロンロン」 MAP 12
1969(昭和44)年4月に中央線、荻窪・三鷹間の高架複々線化が完了。同年12月3日には高架下を利用した「吉祥寺ロンロン」がオープンした。開業当時には178店舗が軒を連ね、初日は1日に25万人が訪れた。写真は1982(昭和57)年の様子。
「吉祥寺ロンロン」は2010(平成22)年にリニューアル、現在は「アトレ吉祥寺」となっている。
F・Fビル周辺の開発が進む「元町通り」MAP 13
写真右手奥に見えるF・Fビルは、「東京女子体育短期大学」跡地の再開発により誕生。写真は、建設ラッシュただなかにある1973(昭和48)年の「元町通り」の様子である。「伊勢丹」や「東急百貨店」といった集客力のあるデパートを誘致し、駅から少し離れた地域に配置することで、回遊性のあるまちづくりが行なわれた。それが現在の「ショッピングの街 吉祥寺」としての基礎を築いたと言われている。
現在、F・FビルにはA棟、B棟ともにショッピングセンターの「コピス吉祥寺」が入っている。
「パルコ吉祥寺店」建設中 MAP 14
1978(昭和53)年「パルコ吉祥寺店」建設中の吉祥寺本町。左奥には名店会館跡地に開店した「東急百貨店」の姿が見える。昭和50年代に入り、駅周辺における大型商業施設の出店は落ち着き始めていたが、「パルコ」の宣伝が巧みだったこともあり「ショッピングの街 吉祥寺」は更に盛り上がりを見せる。
1980(昭和55)年9月18日に「パルコ吉祥寺店」がオープンした。現在も同じ場所で営業中である。
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