写真でひもとく街の成り立ち

このまちアーカイブス
柏を含む下総台地上の一帯は、もともと江戸幕府が軍馬育成のための牧を敷いていた土地だった。明治時代の幕開けとともに、牧の開墾が始まり、利根川と江戸川を結ぶ水運事業を経て、やがて柏に鉄道の時代が訪れる。「柏」駅の開設とともに経済が動き出すと、商業だけでなく文化、娯楽にも広がりを見せた。戦前戦後にかけて村から町、町から市へと発展を遂げ、戦後の高度経済成長を経て首都近郊の一大都市へ。何気ない街並みも、歴史をひもとくと、またちがった表情を見せてくれる。
東葛共同荷馬車組合の創立5周年記念碑除幕式(昭和2年)
明治の産業化の中で、輸送手段が人力から動力に移行する過程の中間を担ったのが荷馬車による一括輸送だった。鉄道や自動車へ運輸が広がっていく中で、荷馬車は柏を含む東葛飾と東京を結ぶ重要な輸送手段となった。写真は創立5周年を祝う東葛共同荷馬車組合の組合員と記念碑の風景。場所は定かでない。
市制祝賀(昭和29年)
1954(昭和29)年の市制施行当時、市役所庁舎は現在の「イトーヨーカドー」駐車場辺りにあった。「柏町役場」を引き継いだもので、現第一庁舎が1965(昭和40)年に完成して新庁舎に移転するまでこの庁舎が存在した。現在の本庁舎は、1982(昭和57)年に第二庁舎として完成した建物。
「柏競馬場」造成工事(昭和2年)
「柏競馬場」はもともと「小金牧」の一部である「上野牧」だった豊四季に建設された。明原や篠籠田といった水を集めやすい低地に農村と水田が拓ける一方、台地部は牧として手付かずの林野が広がっていた。その牧が明治以降に開墾地となった。「千葉県立東葛飾高等学校」周辺の急な坂道からもその地形がよく分かる。写真は篠籠田にある田園に面した場所の切土作業の様子。
「二番街」裏の自転車競走(大正時代)
駅前通りから現在の「二番街」を経て、流山街道に出ると、その向こう側は「原っぱ」と呼ばれていた空き地だった。原っぱでは、かつて花形スポーツ競技だった自転車競走が繰り広げられた。自転車競走は明治以降の日本各地で開催され、柏でも人気イベントのひとつだったようだ。
大水に見舞われた「呼塚大橋」付近(昭和13年頃か)
利根川水系の大小の川が流れる柏周辺では、水害による苦労が絶えなかった。写真は河岸のあった呼塚の大堀川に架かる「呼塚大橋」付近。近くには、船の往来や旅の目印として常夜灯が立っていた。鉄道や街道が今でも形を変えて残る一方で、水運による物資や人の移動は現在の景色からは最も想像し難いものかもしれない。
柏の大火(昭和30年)
市制施行の翌年12月、柏の街が大火に見舞われた。火元は現在の「イトーヨーカドー」辺りにあった工場だったといわれ、旧水戸街道を挟む一帯の商店街46棟、33世帯が被災した。柏が都市へと歩みゆく過渡期に起こった大火は、街並みや街づくりのあり方にも大きく影響した。
映画エキストラ(昭和10年代)
東口では駅前周辺や「柏銀座通り商店街」に映画館があり、人々の娯楽の中心として人気を博したが、西側は競馬場・ゴルフ場や野原で、映画のロケ地としても利用されたという。写真は映画のエキストラ役者たち。どの映画かは分からない。
送り大師(昭和10年)
「東葛印旛大師講」、通称「送り大師」と呼ばれる霊場巡りの講。江戸時代末期に成立したとされ、200年以上の歴史を持つ。毎年5月に行われ、四国八十八ヶ所霊場を模した札所を5日間かけて巡り、出発した札所に戻ってきて結願となる。写真は逆井の「観音寺」を出る巡礼者の模様。

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