写真でひもとく街の成り立ち

このまちアーカイブス
福岡・博多
博多湾に沿って広がる福岡・博多は、九州有数の商業・工業都市であるばかりでなく、国内外から多くの人が集まる日本有数の観光都市の要素も持つ。古くはその重要性から、周辺に「大宰府」・「鴻臚館(こうろかん)」が置かれた日本外交の拠点であり、その後は商人が活躍する港町・博多が誕生した。江戸時代にはその西側に黒田氏の城下町・福岡が生まれ、東西の2つの街が競い合うように発展した。明治維新後、両者は合併して県庁所在地の福岡市となり、現在は博多区と中央区にあたる地域になっている。その中で、JRの駅は今も「博多」駅を名乗るなど、2つの地名は併存し、市民の間に浸透している。また、この街を彩る季節の祭りは熱く、特産品や食品は全国に通用するブランドも多い。
元寇の舞台 金印発見の志賀島
博多湾に延びる「海の中道」で、「志賀島」は九州本土と結ばれている。この「志賀島」は元寇の文永の役(1274(文永11)年)・弘安の役(1281(弘安4)年)では蒙古軍と日本軍との戦いの舞台となった。1784(天明4)年に発見された「金印(漢委奴国王印)」の出土地としても有名で、古くから海外との関わりがあったことが分かる。(画像は昭和前期)
ルネサンス様式の駅舎 レンガ造りの二階建て
二代目「博多」駅はレンガ造り、二階建てのルネサンス様式で、内部にも大理石が使用されるなど、壮麗な駅舎だった。この写真の奥には、二階への階段が見える。(画像は明治後期)
大宰府の外港 『続日本紀』に博多大津の記載
古代の「博多大津(現・博多港)」において、「鴻臚館」を出た遣唐使の一行が遣唐船に乗り込もうとしている風景を再現したもの。1936(昭和11)年、「博多築港記念大博覧会」での展示風景である。(画像は1936(昭和11)年)
航空機から見た市内中央 天神に県庁があった頃
飛行機から見下ろした天神、中洲地区。この時期の天神には、県庁と市役所が並び建っていた。中央上を横切る「明治通」とともに、左下に「渡辺通」があり、路面電車が走る姿が見える。(画像は昭和前期)
呉服町にあった高級ホテル 「共進亭ホテル」
呉服町にあった「共進亭ホテル」は博多(福岡)を代表するホテルで、地上8階建ての「片倉ビル」の5~8階部分を占めていた。1931(昭和6)年、「名島飛行場」に飛来したリンドバーグが宿泊したことで知られる。「共進亭」はホテルとともに九州鉄道(現・JR九州)の食堂車も営業していた。(画像は昭和前期)
1月3日に開催 筥崎宮で男たちが豊年を占う
「玉せせり」ともいわれる「筥崎宮」の「玉取祭」は、起源は定かではないが、室町時代に始まったともいわれ、「九州三大祭」とされる。1月3日、締め込み姿の男たちが幸運を授かるとされる「陽の玉」をめぐり争奪戦を繰り広げる。(画像は大正期)
「九州沖縄八県連合共進会」 1910年、天神付近で開催 明治通に路面電車開通
1887(明治20)年、中洲で第5回の「九州沖縄八県連合共進会」が開催。1910(明治43)年、今度は「佐賀掘(肥前堀)」を埋め立てた会場で、第13回の「九州沖縄八県連合共進会」が開かれ、路面電車の開通とともに街を大きく発展させた。(画像は1910(明治43)年)
「東亜勧業博覧会」 大濠を埋め立てて開催、跡地は公園に整備
1927(昭和2)年、3月から5月にかけて60日間開催された「東亜勧業博覧会」は、159万人の入場者を集めて成功裡のうちに終了した。この博覧会後、会場は「大濠公園」となって市民に開放された。(画像は昭和前期)
古地図に見る 太宰府と福岡・博多
これは、元寇に関係する各地を示した1902(明治35)年の地図の一部。福岡と博多の間の線にあたるのが那珂川で、右下隅に「太宰府」の文字が見える。「大宰府」が九州を治めていた奈良・平安時代には、福岡にあった「鴻臚館」と「大宰府」は2本の古代官道「大宰府官道」により結ばれていたといわれている。1987(昭和62)年に「平和台野球場」の改修工事の際に「福岡城」跡から遺構が発見され、位置が特定された。(この地図中では、「鴻臚館」は実際の位置とは異なり、内陸寄りに示されている。)(画像は1902(明治35)年)
異なる発展を遂げた「福岡」と「博多」
那珂川の中洲を境に、地図の右(東)側に博多、左(西)側に福岡の町が見える。博多の町は、商人の町らしく縦横に規則正しく区割りされている様子がわかる。一方、福岡の町は福岡藩主の黒田氏によって築城された「福岡城」を中心に堀がめぐらされ、武家屋敷などが置かれていた。両者は、近接した地域であるが、それぞれ異なった発展を遂げてきた。(画像は1754(宝暦4)年)
福岡・博多の路面電車 1910年に2路線開通
西鉄福岡市内線は、1979(昭和54)年まで走っていた路面電車で、前身は「福博電車」と呼ばれていた。1910(明治43)年、福博電気軌道の開通当初は2路線で、まもなく市内に路線が広がった。写真は「東公園」入口付近ですれ違う2両の電車。(画像は大正期)
福岡第一飛行場 1936年、雁ノ巣に開場 当時は日本最大規模の国際空港
「名島水上飛行場」のあとを受けて、1936(昭和11)年、「海の中道」の雁ノ巣付近に建設された。戦前には中国、朝鮮、台湾方面への航路があり、当時としては日本最大規模の民間国際空港となっていた。(画像は昭和前期)
那珂川河口付近の鳥瞰 須崎方面は開発途中
那珂川の河口付近で、右側には博多湾がわずかにのぞいている。中洲の写真左側には現在の「昭和通」(拡張前)が通っている。写真右上の、現在「須崎公園」がある付近は更地のままで、道路なども整備中であった。(画像は大正~昭和前期)
松囃子から発展 どんたく隊が演奏を披露
毎年5月3、4日に行われる「博多どんたく」は、年賀行事の「松囃子(まつばやし)」が起源とされ、今から400年前、博多町人が名島城主となった小早川氏の居城へ年賀のお祝いに出向いたと伝わる。明治時代に「博多どんたく」と呼ばれるようになった。(画像は大正期)
鎌倉時代に宋から伝わった「博多織」 江戸時代には幕府へ献上
江戸時代、福岡藩主黒田氏から幕府に献上されたことから「献上博多」といわれた品質を誇る「博多織」は、博多(福岡)の伝統産業として全国に知られる。中でも「博多帯」は歌舞伎役者が使用するようになったことで、人気を得た。(画像は昭和前期)
「福岡工業博覧会」 会場は2か所に分散 須崎裏、西公園下を渡船で結ぶ
1918(大正7)年に開催された「九州沖縄物産共進会」で使用された施設や陸軍大演習の施設など2会場を利用して、1920(大正9)年に「福岡工業博覧会」が開催された。博覧会は成功を収め、福岡をはじめ北九州の工業を広く全国に知らしめることとなった。(画像は大正期)
「博多築港記念大博覧会」 博多港の第1期工事竣工
博多港の築港計画の第1期工事が竣工したのを記念して、博覧会が開催された。会場内には大噴水池が設けられ、土木建築館、観光館などのパビリオンが建ち並んだ。この博覧会によって、福岡は九州の拠点都市としての地位を固めていく。この年には、那珂川の「西大橋」の架け替えや、「雁ノ巣飛行場」の開場など、交通体系の充実も図られた。(画像は1936(昭和11)年)

※古代律令時代の役所、その遺跡に関するダザイフは「大宰府」、中世以降の地名や天満宮については「太宰府」と表記する。
※画像古地図提供 / 生田誠(※クレジット表記のないもの全て)

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