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福岡・博多の前史


神功皇后が祠を建てる 社殿は奈良時代の竣工 MAP __

社伝では、200(仲哀天皇9)年に神功皇后が祠を建てて、仲哀天皇の神霊を祀ったといわれる「香椎宮」。社殿は724(神亀元)年に竣工したと伝わり、「明治維新」後は官幣大社として多くの人の信仰を集めてきた。【画像は明治後期】

古代には霊廟とされた地で、今も厳かな雰囲気が漂う。

日本三大八幡宮のひとつ 正月に「玉取祭」 MAP __

「筥崎宮」は、「宇佐神宮(大分)」、「石清水八幡宮(京都)」と並ぶ、日本三大八幡宮のひとつ。923(延長元)年の創建で、応神天皇、神功皇后、玉依姫命を祀る。1月3日に「玉取祭(玉せせり)」、9月に「放生会」が行われる。【画像は昭和前期】

楼門は小早川隆景が1594(文禄3)年に建立した。

「元寇」の舞台 「金印」発見の「志賀島」 MAP __

「志賀島」は、「博多湾」に延びる「海の中道」で九州本土と結ばれている。この「志賀島」は「元寇」の「文永の役」(1274(文永11)年)・「弘安の役」(1281(弘安4)年)では蒙古軍と日本軍との戦いの舞台となった。1784(天明4)年に発見された「金印(漢委奴国王印)」の出土地としても有名で、古くから海外との関わりがあったことが分かる。【画像は昭和前期】

「三韓出兵」、船の帆柱の伝説 天然記念物の化石 MAP __

「名島の檣(帆柱)石」は、「名島神社」境内の海岸にある珪化木で、カシ属の樹木の化石とされる天然記念物。「帆柱石」と呼ばれるのは、古代、神功皇后の「三韓出兵」の際に使用された船の帆柱が化石になったといわれる。【画像は明治後期】

現在、「帆柱石」のある名島の海岸は、潮干狩りの名所となっている。

黒田氏52万石の居城 古代の「鴻臚館」の遺構も MAP __

福岡藩主黒田氏の居城となった「福岡城」は、別名「舞鶴城」と呼ばれる平山城。本丸跡は「舞鶴公園」となっている。外交施設「鴻臚館」の遺構があり、現在は「鴻臚館跡展示館」が建てられている。【画像は昭和前期】

城の本丸から三の丸一帯は現在、「舞鶴公園」となり、その西側は「大濠公園」となっている。

異なる発展を遂げた「福岡」と「博多」

「那珂川」の中洲を境に、地図の右(東)側に博多、左(西)側に福岡の町が見える。博多の町は、商人の町らしく縦横に規則正しく区割りされている様子がわかる。一方、福岡の町は福岡藩主の黒田氏によって築城された「福岡城」を中心に堀がめぐらされ、武家屋敷などが置かれていた。両者は、近接した地域であるが、それぞれ異なった発展を遂げてきた。【画像は1754(宝暦4)年】



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※本ページでは、古代律令時代の役所、その遺跡に関するダザイフは「大宰府」、中世以降の地名や天満宮については「太宰府」と表記する。



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