写真でひもとく街の成り立ち

このまちアーカイブス
福岡・博多
博多湾に沿って広がる福岡・博多は、九州有数の商業・工業都市であるばかりでなく、国内外から多くの人が集まる日本有数の観光都市の要素も持つ。古くはその重要性から、周辺に「大宰府」・「鴻臚館(こうろかん)」が置かれた日本外交の拠点であり、その後は商人が活躍する港町・博多が誕生した。江戸時代にはその西側に黒田氏の城下町・福岡が生まれ、東西の2つの街が競い合うように発展した。明治維新後、両者は合併して県庁所在地の福岡市となり、現在は博多区と中央区にあたる地域になっている。その中で、JRの駅は今も「博多」駅を名乗るなど、2つの地名は併存し、市民の間に浸透している。また、この街を彩る季節の祭りは熱く、特産品や食品は全国に通用するブランドも多い。
神功皇后が祠を建てる 社殿は奈良時代の竣工MAP 1
社伝では、200(仲哀天皇9)年に神功皇后が祠を建てて、仲哀天皇の神霊を祀ったといわれる「香椎宮」。社殿は724(神亀元)年に竣工したと伝わり、明治維新後は官幣大社として多くの人の信仰を集めてきた。(画像は明治後期)
古代には霊廟とされた地で、今も厳かな雰囲気が漂う。
日本三大八幡宮のひとつ 正月に玉取祭MAP 2
「筥崎宮」は、「宇佐神宮(大分)」、「石清水八幡宮(京都)」と並ぶ、日本三大八幡宮のひとつ。923(延長元)年の創建で、応神天皇、神功皇后、玉依姫命を祀る。1月3日に「玉取祭(玉せせり)」、9月に「放生会」が行われる。(画像は昭和前期)
楼門は小早川隆景が1594(文禄3)年に建立した。
三韓出兵、船の帆柱の伝説 天然記念物の化石MAP 3
「名島の檣(帆柱)石」は、「名島神社」境内の海岸にある珪化木で、カシ属の樹木の化石とされる天然記念物。「帆柱石」と呼ばれるのは、古代、神功皇后の三韓出兵の際に使用された船の帆柱が化石になったといわれる。(画像は明治後期)
現在、「帆柱石」のある名島の海岸は、潮干狩りの名所となっている。
黒田氏52万石の居城 古代の鴻臚館の遺構もMAP 4
福岡藩主黒田氏の居城となった「福岡城」は、別名「舞鶴城」と呼ばれる平山城。本丸跡は「舞鶴公園」となっている。外交施設「鴻臚館」の遺構があり、現在は「鴻臚館跡展示館」が建てられている。(画像は昭和前期)
城の本丸から三の丸一帯は現在、「舞鶴公園」となり、その西側は「大濠公園」となっている。
1876年に開園 歴史を語るパノラマ館MAP 5
「東公園」は1876(明治9)年に開園した福岡初の公園(東松原公園)で、1900(明治33)年に現在の名称となった。この「東公園」には日露戦争後、パノラマ館が建設され、戦争を描く大画面が公開されていた。(画像は明治後期)
「東公園」は亀山上皇像をシンボルとして、約7万平方メートルの園地が広がる。
出発は京都帝大の分科大学 1911年に九州帝大にMAP 6
現在の「九州大学」のはじまりは、「京都帝国大学」の分科大学である「福岡医科大学」である。そこから、1911(明治44)年、工学部、医科の2科大学をからなる「九州帝国大学」が誕生した。(画像は大正期)
「九州大学」は現在、箱崎、馬出、伊都などの地区に分かれている。写真は箱崎キャンパス。
箱崎海岸に汐湯「抱洋閣」 辰野金吾設計の宿泊施設MAP 7
1910(明治43)年に開催された「第13回九州沖縄八県連合共進会」の付帯施設として、1909(明治42)年箱崎浜に汐湯「抱洋閣」が設けられた。ここは宿泊施設であるばかりでなく、浴場、水族館なども併設されていた。(画像は1909(明治42)年)
箱崎海岸は埋め立てられ、景色が大きく変わっている。かつて汐湯「抱洋閣」があった場所には、「筥崎宮」の「交通安全祈願殿」が建っている。
福岡市の東の入り口 多々良川に九州鉄道の橋梁MAP 8
名島と箱崎の間を流れて、博多湾に注ぐ多々良川は、この写真が撮影された当時の福岡市の東の玄関口に位置する。1891(明治24)年、「博多」駅から「門司(現・門司港)」駅までの路線(現・鹿児島本線)を開通した九州鉄道は、多々良川に橋梁を設けた。(画像は大正期)
この付近の多々良川にはJR鹿児島本線の橋梁のほか、複数の橋が架かっている。写真は西鉄貝塚線「名島川橋梁」。
天神にあった県庁 1981年に現在地に移転MAP 9
「福岡県庁」は1876(明治9)年に「福岡城」内から天神に移転し、1915(大正4)年にはルネサンス様式の新庁舎が建てられた。その後、1981(昭和56)年に現在地(東公園)に移転している。(画像は大正期)
1995(平成7)年に跡地に竣工した「アクロス福岡」には、福岡シンフォニーホール、国際会議場などが入る。
二代目「博多」駅 駅前には路面電車 MAP 10
かつての「博多」駅は現在の「出来町公園」付近にあり、間もなく現在の祇園交差点付近に移転した。この地には1909(明治42)年に二代目駅舎が竣工、間もなく路面電車(福博電車)の路線が駅前から開設された。(画像は大正期)
山陽新幹線、九州新幹線の接続駅となっている現在の「博多」駅。
天神交差点のランドマーク 西鉄の前身、九州電灯鉄道ビルMAP 11
西鉄の前身のひとつ、福博電気軌道から発展した九州電灯鉄道は1917(大正6)年、天神交差点に時計塔のある本社ビルを建築した。この南側には1924(大正13)年、もうひとつの前身、九州鉄道(二代目)が始発駅・「九鉄福岡(現・西鉄福岡(天神))」駅を置いた。(画像は大正期)
現在の「西鉄福岡(天神)」駅の「ソラリアターミナルビル」は1997(平成9)年に完成した。
西鉄「太宰府」駅 馬車鉄道 蒸気を経て電車の駅にMAP 12
「太宰府(天満宮)」の玄関口は1902(明治35)年、太宰府馬車鉄道の手で開業した。その後、太宰府軌道、九州鉄道を経て、現在は西鉄太宰府線の終点「太宰府」駅となっている。(画像は昭和前期)
「太宰府」駅は、1991(平成3)年に現在の駅舎になった。
博多湾に注ぐ那珂川 港町を貫くMAP 13
中洲を挟んで流れる那珂川、博多川沿いの一帯は、近代的な博多港が開かれる前には、港町・博多の港湾の中心地だった。この絵葉書でも、大小の船が石造りの岸壁に繋がれた様子が見える。(画像は1907(明治40)年)
現在の那珂川は、水上バスでの観光もできるようになった。
近代の港は1899年開港 乗降人員数は日本一にMAP 14
「西公園」付近の海岸(荒津山の東麓)は「福岡船溜」と呼ばれ、「福岡漁港」となっていた。写真は、「西公園」から、戦後に整備が進められた博多湾(港)と、向こう側に広がる福岡市内を眺めた様子。(画像は昭和中期)
港湾が整備されるにつれ、博多港の風景も変化を遂げている。国際ターミナルが開港した1993(平成5)年以降、日本一の乗降人員を誇っている。
名島水上飛行場 大阪・上海に航路MAP 15
1930(昭和5)年に開かれた「名島水上飛行場」は、アメリカの飛行家、リンドバーグ夫妻が来訪したことでも知られる。大阪、上海との間に定期航路があり、飛行機を吊り上げる巨大なクレーンがランドマークとなっていた。(画像は昭和前期)
飛行場のあった付近は埋め立てにより、風景は一変した。現在は住宅地になっており、記念碑がその歴史を伝えている。
板付飛行場(福岡空港) スタートは陸軍の席田飛行場MAP 16
太平洋戦争中に陸軍の「席田(むしろだ)飛行場」として建設、戦後はアメリカ軍に接収され、板付基地として使用された。1951(昭和26)年に日本航空の福岡―大阪―東京路線が開設された。(画像は昭和中期)
「福岡空港」は、都心部とのアクセスの良さから、日本有数の利便性を誇る空港のひとつである。
天神を南北に貫く渡辺通 夜は屋台で賑わうMAP 17
天神を南北に貫く「渡辺通」。この当時は路面電車が走っていた。左手前の建物あたりには現在、「福岡ビル」、「天神コア」がある。夜に出る屋台は有名。(画像は昭和前期)
九州を代表する繁華街、天神には常に多くの人が集まってくる。
路面電車の走る明治通 土居町に近代的なビルMAP 18
福岡のメインストリートのひとつ、「明治通」に面した「土居町」(現・「中洲川端」駅付近)は、銀行や商店が建ち並ぶ繁華街であった。「明治通」は、「渡辺通(の一部)」とともに明治期にできた道路で、路面電車が走っていた。現在は地下鉄空港線、箱崎線が通る。(画像は昭和前期)
現在の「土居通」付近には、地下鉄の「中洲川端」駅が置かれている。
昭和通に西中島橋 黒田長政の時代からMAP 19
福岡藩の初代藩主、黒田長政が中洲を整備して中島町を造り、「西中島橋」と「東中島橋」を架けた。この「西中島橋」は1907(明治40)年に架け替えられたもので、さらに1961(昭和36)年に新しい橋に替わっている。奥に見えるのは、1909(明治42)年に竣工した日本生命保険株式会社の九州支店。赤煉瓦のこの建物は辰野金吾と片岡安の設計。(画像は大正期)
「西中島橋」は、戦後に誕生した幅の広い「昭和通」が通っている。日本生命の九州支店は、その後、市の歴史資料館を経て1994(平成6)年に「赤煉瓦文化館(福岡市文学館)」となった。
明治通に西大橋 明治の共進会を機に架橋MAP 20
東西の中洲をつなぐ「西大橋」は、「九州沖縄八県連合共進会」が開催された、1910(明治43)年に架橋された。中央に見える建物は、1917(大正6)年に完成した「福岡県物産陳列所」である。(画像は昭和前期)
那珂川の風景とマッチした「西大橋」は、現在も博多、福岡を代表する風景のひとつである。
天神にあった県庁の前で「福博電車」が走るMAP 21
1981(昭和56)年に現在地に移転するまで、「福岡県庁」は天神にあり、目の前の「明治通」を路面電車が走っていた。手前の市電の右側には「福博電車」の大きな看板がのぞく。(画像は大正期)
近代的なビルが建ち並ぶ場所に変わった天神付近の「明治通」。県庁のあった場所は「アクロス福岡」になっている。
1923年にできた旧庁舎 現本庁舎は1988年竣工MAP 22
福岡市は1889(明治22)年に市制が敷かれ、当時は天神に市役所が存在した。市役所はその後、近くに移転し、1923(大正12)年に現在地に移った。現在の本庁舎は1982(昭和57)年に議会棟、1988(昭和63)年に行政棟が完成した。(画像は大正期~昭和前期)
神戸市を抜き、政令指定都市で5番目の人口となった福岡市の中心、「福岡市役所」。
福岡市初の百貨店 跡地は商業施設「ゲイツ」にMAP 23
福岡市最初の百貨店は、1925(大正14)年に中州に開店した「福岡玉屋」。鹿児島、佐世保に続き、九州では3番目の百貨店となった。その後、地域を代表する百貨店となっていたが、1999(平成11)年に閉店した。(画像は昭和前期)
「福岡玉屋」の跡地に誕生した大型商業施設「ゲイツ」。
ルーツは福岡の呉服商 九州初のターミナルデパートMAP 24
「岩田屋」のスタートは、1754(宝暦4)年創業の呉服商。1935(昭和10)年に株式会社となり、翌1936(昭和11)年には天神に九州初のターミナルデパートとして開店した。(画像は昭和前期)
現在は「岩田屋三越」として、三越伊勢丹グループの一員となっている。
呉服町にあった高級ホテル 「共進亭ホテル」MAP 25
呉服町にあった「共進亭ホテル」は博多(福岡)を代表するホテルで、地上8階建ての「片倉ビル」の5~8階部分を占めていた。1931(昭和6)年、「名島飛行場」に飛来したリンドバーグが宿泊したことで知られる。「共進亭」はホテルとともに九州鉄道(現・JR九州)の食堂車も営業していた。写真は呉服町の俯瞰で中央下側に「共進亭ホテル」が見える。(画像は1935(昭和10)年頃)
「共進亭ホテル」が入っていた「片倉ビル」は、現在の呉服町交差点付近にあった。
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※古代律令時代の役所、その遺跡に関するダザイフは「大宰府」、中世以降の地名や天満宮については「太宰府」と表記する。
※画像古地図提供 / 生田誠(※クレジット表記のないもの全て)

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