料理・日本酒・器にこだわり、
最上級のおもてなしを目指す

銀座の地に34年。「ささ花」店主・土佐さんは小さいときから料理が大好きだったという。料理人を目指してから約50年。料理、日本酒、器の三位一体のこだわりとおもてなしの極意を伺った。

日本料理の粋を、厳選の日本酒とともに

暖簾を開け、「ささ花」の“離れ”に通じる階段を降りる。引き戸を開けると、店内には清らかな気が流れており、居心地の良い空間であることはすぐに知れた。カウンター席が6席と個室がひと部屋。ささ花の常連客が本店に入れなかったときや、大切な人のお祝いの席などのために用意された、特別な空間なのだ。

これから出す予定の前菜を見せていただいた。膳は、備前焼の大ぶりの皿にバランスよく盛られ、あたかも流れる川のよう。からりと揚げた若鮎は、ぴちぴちと川を上っているかのような躍動感がある。エビやホタルイカ、タコも、川底の小石に見立てた里芋や豆の横に見え隠れ。その川のほとりにはしっとりと朝露に濡れたアジサイが梅雨の到来を告げ、青紅葉もまた美しい。(取材日は5月末。そろそろ梅雨の到来を感じさせるころだった)

器と料理のバランスを目で楽しみ、その味に舌鼓を打ち、極上の日本酒を味わうのがささ花の楽しみ方。カウンター越しの土佐さんとの会話もまた楽しい。

土佐孝幸
奈良県出身。1954年生まれ。「銀座ささ花」店主。

東京タワーとハンバーグ

土佐さんは、生家が料理店だったわけではない。料理が好きになったきっかけも、特に覚えていない。けれども土佐さんには、幼稚園に入るか入らないかという頃の忘れられない記憶がある。

叔母が病にかかり、土佐さんは母親に連れられて見舞いのために上京したときのことだ。奈良県出身の土佐さんにとって、そのときのことは「初めての東京の思い出」として強く印象づけられている。

「叔母がお茶の水の大学病院に入院したものですから、まずはお茶の水に行きました。川の上を走る地下鉄に驚きましたねえ」と、土佐さんは目を細める。地下鉄に乗り、完成間もない東京タワーを見る。そして浅草まで足をのばし、洋食屋さんで食べさせてもらったのが、ハンバーグだった。

「目玉焼きが乗っていて、デミグラスソースが添えられていて、そりゃあおいしかった」

そこで、土佐さんが母親に言った言葉には、ちょっと驚かされた。
「大きくなったらこういう料理を作って、お母さんに食べさせてあげる」

小学生の頃は、家に帰ってお腹がすけば、小麦粉を溶いて砂糖を加えて焼いたり、お弁当が必要なときは張り切って自分で作ったり。とにかく料理が楽しくて仕方がなかった。

どうしても料理人になりたい

中学を卒業したらすぐにでも料理人になりたかった。しかしそんな思いは親や学校に反対され、やむなく高校は行ったものの、1年の途中でフェイドアウト。「こんなことをしている暇はない。早く東京に行って料理人の修業がしたい」という気持ちは強まるばかりだった。翌年の2月には学校をやめ、東京の叔父を頼って上京する。

初めての勤め先は、叔父が頼み込んでくれた浅草の洋食店だった。皿洗い、鍋洗い、野菜の皮むきや灰汁取り、下ごしらえや後始末などのほか、人間関係や社会の厳しさを学んだ。

次に勤めたのは、赤坂の洋食店。シェフは横浜にある老舗ホテルの出身で、仕込みの大切さやソースの作り方など、基本的なことをしっかり教わることができた。ホテル関係にも広く人脈ができた。休みの日でも、頼まれれば他のホテルに手伝いに行く。仕事の幅も広がり、年の近い友人もできた。土佐さんは興味の赴くまま、どんどん知識を吸収し、経験を積んでいった。

「浦霞」で日本酒の魅力を知る

その後、古い知り合いを頼って紹介してもらったのが、和食の店だった。もともと和食に興味があった土佐さんは、10年たってようやく和食の店にたどり着く。この店がメインに置いていた酒は、宮城の「浦霞」だった。

「社長に、初めて日本酒の飲み方を教わりました」

酒の色を見る。香りをかぐ。口に含む。
広がる味、鼻に抜ける香り、飲み込んだ後の余韻……。そういった唎酒の手法をこの店の社長から教わる。様々な日本酒を「どうやってこの味になったのだろう」と考えながら味わう楽しさを知れば知るほど、もっと日本酒について勉強したいと思うようになっていった。

初めて行った酒蔵は、この店の社員旅行で行った、浦霞の酒蔵だった。熱心にあれこれ聞く土佐さんに、杜氏は保存する酵母を特別に見せてくれた。このときの経験がきっかけとなり、自ら連絡をとって全国の酒蔵を次々と訪ねていくようになる。現在、ささ花に珍しい日本酒がたくさん置いてあるのは、土佐さんが若い頃から日本各地を歩き回り、会話をし、信頼を構築して、直接取引ができるようになったからに他ならない。

そして、妻となる恵美子さんとの出会いも、この店だった。

銀座の地に「ささ花」誕生

土佐夫妻の「おいしい酒と料理をふるまう店を出したい」という夢が叶ったのは、1984年のことだ。銀座3丁目に居抜きのいい物件が出たと聞き、飛んで行った。銀座に店を出したいというのは、土佐さんが長年心に抱いていた大きな夢でもあった。

「銀座というのは、品もあるし、懐の大きい大人の街。なんでも受け入れてくれる日本一の街だと思います」

30歳で銀座に店を持つことが決まり、奮い立つような気持ちでもあっただろう。

「あこがれだけで始めたようなもの。とにかく5年くらいやれればいいかな、もしダメでもまだ30代だ、また他でやり直せばいいというような気持ちでした。夢中でしたねえ」

店の名前は「ささ花」。「ささ」は公家言葉で日本酒をあらわす。開店当時は吟醸酒という言葉がやっと認知されはじめた時代だった。

「自分が大好きな選りすぐりの酒を、花を愛でるようにお客様に喜んでもらいたい。そんな気持ちでつけました。花の字を入れたいといったのは、かみさんです」と、ちょっと恥ずかしそうに語る。

バブル景気も相まって、店は繁盛し多忙を極めた。1991年頃のバブル崩壊後でも、ささ花の客足が途絶えることはなかった。

「あの頃は、皆さん会社の経費でいらっしゃってくださったんでしょう。でも、バブルがはじけたあとでも来てくださったお客様は、お金を自分で払ってでもささ花に来たいと思ってくださった方たちです。そんなお客様に応援していただいたという気持ちがとても強いですね」

ささ花は、一流の店として銀座で認知された。
こうして5年が10年、10年が20年と続き、銀座の地に34年、ささ花は咲き続けている。

情報は足で集め、興味をもって取り寄せる。
その繰り返し

ささ花のこだわりについて伺った。
土佐さんは若い頃、休みのたびに日本全国の酒蔵を回って交流を深めてきたことは前述した通りだ。休日の前夜、店を閉めてから地方の酒蔵をめぐる。1泊、せいぜい2泊して帰宅後、すぐに店を開ける。そんな無茶もしつつ培ってきた杜氏たちとの信頼関係からもたらされたものは大きい。こうして全国の銘酒は、ささ花に集まった。

「若いころの無茶は決して無駄にはなっていませんね」と笑いつつ、「もう亡くなった方も多いのですが、各地の酒蔵の方たちには本当に色々なことを教わりました」としんみり語る。

日本酒ばかりではない。「あそこにはこんなモノがある」「ここのコレは美味い」という情報は、現地に行って、地元の人たちとの信頼関係を得てこそ教えてもらえることだ。

たとえば「鮎」。土佐さんが20年近く注目しているのは、島根県の高津川の鮎だ。

高津川は、清流日本一に選ばれるような一級河川。そして、ダムがない。ダムがないから、雨が降れば増水し、水位が上がって急流になる。すると大きな石の下にたまっている泥を急流が洗い流して、川底からきれいになっていく。それが何度も繰り返され、残った石にいい苔がつく。その苔を食むことで、香りのいいおいしい鮎に育っていく。高津川の鮎が美味しいという情報は、島根県にある酒蔵の杜氏から聞いたものだった。

まだインターネットのない時代から、一つひとつの食材について情報を集め、現地に行き、あるいは取り寄せ、選んできた。その繰り返しが、よい素材をささ花にもたらしている。常にアンテナを張り、新しい食材を取り入れ、食材からヒントを得て新たなメニューを考案していく。

料理を盛る器にも、こだわりがある。作家展などにはまめに通い、気に入った器を求めている。器には、作家の思いがつまっているものもあれば、昔の古い絵付けを模倣して今のスタイルに合わせて作られているものもある。

「自分が気に入って買ったお皿が、どういう意図で作られた皿なのかが感じ取れたときに、楽しくなるんです」

この皿にどんな盛り付けをしたら料理が生き生きするのだろうか。どうすれば食材が引き立ち、存在感を増し、美味しさを伝えてくれるのだろうか。
繊細な器、ごつごつした存在感のある器、あるいは照明や角度によって微妙に文様が変わる江戸切子のグラスを前に、土佐さんは考える。

ささ花では、お気に入りの作家のものから、大量生産品であっても使い勝手がよいものまで、たくさんの器や猪口が、その時と料理に合わせて最高のバランスをもたらすように、戸棚の中で出番を待っている。

今が、最高に面白い

こだわってよい素材のモノを選び、素晴らしい器にのせればそれでよいのかと思えば「それは違います」と土佐さんは言う。

「お客様が何の目的でこの店に来られるのか、それを無視しては店主の独りよがりになってしまいます」

たとえば快気祝いであれば、主役は病み上がりかもしれない。優しい味のものを涼しげな器でお出ししてはどうかと考える。季節感も大切にしながら、献立を組み立てていく。素材、器、酒、盛り付けにはとことんこだわる。しかしお客様にそれをことさら主張する気はさらさらない。水面下の努力は感じさせない。それがささ花の美学だ。

「お客様には、この時、この場所、この料理、この酒を楽しんで味わってもらい、お帰りになるときに『おいしかった』『来てよかったね』そう思っていただければ、それで充分です」と微笑む。

「長く料理に携わってきたけれど、今が一番楽しいかな。自分のやりたいことを少しずつ実現してきているし、すばらしい器、おいしいお酒、こだわって作る料理、来ていただくお客様。それらに囲まれて仕事ができるのは、最高に面白いことなのではないかな」

(取材・文:宗像陽子 写真:金田邦男)

銀座 ささ花

http://www.sasahana.com/

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