裸と笑顔とぬくもりで心を豊かに。
銭湯暮らしは、地域も幸せにする

年々その数を減らしている銭湯。しかしその中で、売り上げも好調で客の絶えない銭湯があるという。その名は「小杉湯」。父から引き継ぎ、盛り立て、息子にバトンを託す“銭湯の灯”的な存在だ。なぜ、小杉湯は繁盛しているのか。二代目店主の平松さんにお話を伺った。

「いつか見た懐かしい風景」だけではないお洒落さ

趣のある合掌造りのカーブ。玄関の破風屋根下の欄干には、屋久杉の両面彫。いかにも古めかしい外観だが、目線を下ろせば「WELCOME to 小杉湯」と黒板に書かれたかわいらしい文字が、まるでカフェのように人を誘う。

フロントを通ってすぐのところにはギャラリースペースがあり、毎月飾られる絵は変わる。このギャラリーの予約は3年先まで埋まっているという。絵を眺め、ズラリと並ぶ漫画を読みながらくつろぎ、連れとの待ち合わせもできる居心地のよい空間だ。

解放感のある高さをもった脱衣場、見上げれば、天井には贅沢に秋田杉を使っており、その木目も美しく、見とれてしまう。ああ、銭湯だ……と思える、懐かしい空間だ。

小杉湯の営業は午後3時半から。開くと同時に、待ってましたとばかりに大勢の客がどっと店内に流れ込んでくる。手慣れた様子で靴をロッカーにしまい、フロントに向かう人たち。

「そう、常連さんは一番湯に入るのがお好きな人が多いですね」と穏やかな口調で語るのは、小杉湯二代目の小杉さん、ではなく、平松茂さんだ。

平松茂 昭和26年生まれ。東京都出身。杉並区で銭湯「小杉湯」を営む。

先代のこだわり「きれいで気持ちのいい銭湯」を継承

小杉湯は、高円寺駅から徒歩5分。個性的な店も多くパワフルな街である高円寺で、ひときわ異彩を放つ存在だ。

創業は昭和8年。2018年で創業85年となる。小杉湯は、最初から平松家が経営をしていたわけではない。新潟生まれの茂さんの父が上京して「小杉湯」を買い取ったのが昭和28年のこと。そのとき茂さんは2歳だった。

その頃、小杉湯の経営は思わしくなかったが、買い取った父・吉弘さんは“きれいで気持ちのいい銭湯”にこだわり、徐々にファンを増やしていった。

昭和28年といえば、まだそこかしこに戦争の傷跡が残り、焼野原から復興の槌音とともに、一軒一軒銭湯が増えていった頃だろう。内風呂のある家庭も少なく、家族で銭湯に行くのはごく日常の風景であったはずだ。

「営業開始は今より早くて、昼過ぎの1時とか2時には始まっていました。煙突から煙が出ると『ああ開いた』ってわかる。で、家族で連れ立って銭湯に行く。今よりも銭湯は、暮らしに密着した日常そのものだったんですね」

銭湯の発展とともに茂さん自身も成長していったが、一時期、杉並区だけでも120軒ほどあったといわれる銭湯は、昭和45年頃をピークにその後徐々に減っていった。

アイデアを駆使して生き残った小杉湯

茂さんが跡を継いだのは、すでにそのピークを過ぎていた昭和60年。次第に減っていく客足に、「なんとかしないと」と危機感を募らせ、様々なアイデアを実現していく。

たとえば、先代が始めた「ミルク風呂」。その名の通り牛乳を湯舟に入れたものだ。牛乳にはビタミン、カリウムなどのミネラルが豊富なので、その栄養分を皮膚から吸収すれば肌をすべすべにするという。ミルク風呂は当時人気となったが、時間が経つとにおいがつくため、やめざるを得なかった。

しかし茂さんは、自然素材由来の入浴剤を名古屋の会社に作ってもらい、このミルク風呂を復活させた。小杉湯だけに卸しているというオリジナルの入浴剤だ。肌の調子を整えるだけではなく、41度のぬるめのお湯が体を芯から温めてくれると評判だ。

健康について調べ、よい情報があれば取り入れる。今や小杉湯の看板メニューと言ってもいい「交互浴」では、水と熱いお湯に交互に入って体質改善をしましょう、と提案する。水風呂とサウナの組み合わせはどこでもあるが、小杉湯の場合、サウナはない。熱めの湯と冷たすぎない16度のかけ流しの水の組合せは、水風呂が苦手な人にも入りやすく、時にはこの水風呂に入るための行列ができるほどの人気となっている。

毎日来ても飽きないように「日替わり湯」を始めたのも茂さんだ。3つある浴槽のひとつは、青森ヒバやカモミールの湯などを日替わりで楽しむことができる。月に一度は「風流風呂」として、夏みかんの湯・桃の葉の湯・デコポンの湯の日などを設ける。日替わり湯のカレンダーもおしゃれなイラストにした。女性が手ぶらで来られるように、アメニティを充実させることで、若い女性客もぐんと増えた。

明るく真っ白な浴場に、富士山は二つ

湯殿に通じる扉をガラリを開けると、思わず「あ!」と声をあげてしまう。真正面には、晴れ晴れとした青空の中にくっきりとした富士山だ。一つではない。二つ描かれており、男湯と女湯どちらからでも富士山が楽しめる (2018年2月取材時。定期的に絵は変更される)。

正面の絵に向かってまっすぐ伸びる白い床も清々しい。手桶、蛇口はピカピカとしてとても清潔な印象だ。シャンプーなどもきちんと整列して、その出番を待つ。

「きれいで気持ちのいい銭湯という先代のこだわりは、しっかりと継承しています」と茂さん。歴史ある銭湯というと、やはり古さや暗さが気になるイメージがあったが、まったく違う。かといって、妙に洗練しすぎているわけでもなく、「銭湯といえば富士山だよね」という安定感に、ほっとする。

毎日掃除は夜中の3時半まで

銭湯を明るく清潔に保つためには、むろん掃除は欠かせない。小杉湯は、毎日の営業が夜中の1時45分まで。そこから2時間かけて家族で掃除をする。すべての作業が終わるのは真夜中の3時半だという。朝は8時くらいからパートさんも含めて掃除を始め、午後3時半に営業開始だ。

「普通の家庭とは全く違います。夜型の生活ですから」とにこやかだ。

「まあ、営業が始まってしまえば、人手は番台に一人と、裏にちょっと予備の人間がいればいいくらいですから、楽といえば楽ですけど」

茂さんのこのゆったりとした落ち着きとおだやかな笑顔が、小杉湯のなんとも言えないアットホーム感を生み出す源だ。

三代目に受け継がれたチャレンジ&エンジョイ精神

昔は日常生活そのものだった銭湯の役割は、次第に変わりつつある。今は“街のコミュニティスペース”といった役割にこそ、銭湯の無限の可能性がある。

小杉湯では、3時半の営業時間前を利用して、ピラティス、ヨガ、背骨コンディショニング体操などを行っている。広く温かい空間で、富士山を見ながら体を動かすという、なかなか快適そうな教室だ。

2017年には「小杉湯フェス」を行った。音楽ライブを浴場で行えば、風呂の鼻歌よろしく、心地よいものだろう。実際、音響もよくて気持ちよく歌えるとミュージシャンにも好評だったらしい。

高円寺にある山形のアンテナショップとのコラボレーションで、風呂上りに利き酒をする会を催したり、地域の小学生を対象にお風呂掃除体験をやったり。どの企画も話を聞いているだけで、地域の人たちの笑顔が浮かんでくるようだ。

こうした試みは若者やファミリー層にも受け、大幅に小杉湯のファンを増やした。それは茂さんだけのアイデアではない。強力な助っ人としてここ2年活躍しているのが、茂さんの長男である三代目・佑介さんだ。第3世代への継承がうまくいったことで、同時に客層も広がったのだ。

佑介さんは、大学を卒業し一般企業に勤めた後、小杉湯に戻ってきた。

「息子さんはよく戻ってきましたね」。大変失礼な筆者の質問に答えて、茂さんは言った。

「私自身、父の背中を見て育ち、跡を継ぎました。同じように息子も私の背中を見ていてくれたのだと思います。息子にとっては、会社員でいるよりも子どもといる時間が多くなるというのも魅力のひとつだったかもしれません。でも一番の理由は、小杉湯が繁盛していて楽しそうだったこと。そして小杉湯に魅力がいっぱい詰まっていることを肌で感じていたことではないでしょうか」

2017年には、小杉湯の隣にあった解体予定のアパートに若い人達に無料で住んでもらい、その代わり、小杉湯のためにいろいろなアイデアを出してもらうという「銭湯ぐらしプロジェクト」を、佑介さんが中心となって1年かけて行った。営業時間外を活用したイベントの実施や企業プロモーション、イラストでの魅力発信など、さまざまな企画提案が若者から生まれた。

若者の中には、建築家を目指していたが働きすぎで体を壊し、休職中に銭湯に出会ったという女性もいる。銭湯で心身ともに調子がよくなり、その恩返しのつもりで銭湯のイラストを描いていたところを佑介さんに見出され、小杉湯に転職したという。今では小杉湯の番頭兼、銭湯イラストレーターとして、小杉湯の中のカレンダーやパンフレット、注意書きを手がけている。イラストで小杉湯の魅力を最大限に伝えてくれる彼女の活躍に、茂さんも目を細めている。

「先日『銭湯ぐらしプロジェクト』の報告会がありましてね。若い人たちがこれからもこのつながりを大事にしたいということを聞いて、とても心強く思いました。小杉湯が永遠に続く。この建物がボロボロになって壊れるまで続けてもらえるんじゃないか、っていう期待とうれしさで胸がいっぱいになりました」

銭湯は、地域のために

核家族化も進む中、ひとり住まいの人やお年寄りのひとり暮らしは今後も一層、増えるだろう。

「だから、地域の人が喜ぶようなことをどんどん考えて、銭湯に来てもらうんです」

銭湯に足を運んでもらって、その中で家族のような雰囲気ができればいい。ひとり住まいの人も、お年寄りも、話が弾み、元気になってくる。その結果、街も元気になる。遠い街とのつながりができることもある。

「銭湯って、裸になるでしょう? 裸になるって、意外と開放感があるんです。たやすく人と話せるんですよ。顔見知りになれば背中を流し合ったり、小さい子が来れば周りのおばちゃんがみんなでかわりばんこに面倒を見たり、世間話が始まったり。それが銭湯の良さですよ」

人と人との関係が希薄な現代だからこそ、“第三の居場所”として銭湯の価値は高まっている。老いも若きも幼な子も、ぬくもりや笑顔を求めて、今日も小杉湯に人は集まる。

(取材・文:宗像陽子 写真:金田邦男)

小杉湯

http://www13.plala.or.jp/Kosugiyu/

TOPにもどる

トップへ戻る