ゆっくりでも、手間がかかってもいい。
中世の絵画技法で描き続け、現在に伝える

「テンペラ画」をご存じだろうか。油彩画が出現する以前の中世の絵画技法のひとつで、祭壇画などでよく描かれていた、今ではヨーロッパでもあまり継承されていない特殊な技法である。そのテンペラ画に魅入られた田﨑裕子さんに話をうかがった。

中世の絵画技法「テンペラ画」とは

田﨑さんは、小学生の頃から絵が好きだった。絵画教室に通い、早くから油絵も描いてきた。ただ、大学に行くときは絵を専門にしようとは思わなかったそうだ。

「そのときは、職業にするのは嫌で」

楽しんでやっていることを職業にしてしまえば、余計な苦痛を背負い込むことにもなろう。そこでいったん筆を折り、大学、そして会社員時代を過ごした。

20代の頃はコンピュータプログラマーとして会社勤めをしながらスキーに明け暮れた。そして30歳になろうかという頃、ひょんなきっかけで出会ったのが「テンペラ画」だった。

田﨑裕子 1948年生まれ、東京都出身。1977年よりアルベルト・カルペンティール氏に師事。デッサンと油絵を学ぶ。1979年より石原靖夫氏に師事。卵黄テンペラ画を学ぶ。1989年よりほぼ毎年個展を開催。1994年よりテンペラ画教室を開く。

「テンペラ」は「テンペラーレ」というラテン語が語源となっている。テンペラーレには「混ぜ合わせる、粉末顔料を結合剤で固着する」などの意味がある。顔料を油で溶いて描けば油絵だ。アラビアゴムで溶いて描けば水彩画、膠(にかわ)なら日本画。そして、卵黄で溶いて描くのが、卵黄テンペラ画だ。つまりはどの絵具も「混ぜ合わせる=テンペラーレ」であることに変わりないわけだが、今では油彩画が出現する以前の絵画を総称して「テンペラ画」と呼ぶ。

テンペラ画は、いったん乾燥すれば何年経っても色が変わらないのが特徴だ。それゆえ、中世に描かれた絵を現在でも鮮やかなままに鑑賞することができる。しかしその描き方は手順があり時間もかかるため、現在では本場ヨーロッパでも継承する人は少ない。

世界的な画家との出会い

1977年。田﨑さんはたまたま通っていたジムの隣にあった「絵画教室」の看板に惹かれ、そのアトリエに入ってみた。中から出てきたのはベルギー人の神父であるアルベルト・カルペンティール氏だった。氏は、版画・油絵・水彩画のみならず、教会の壁画やステンドグラスなどを多く手掛けてきた世界的な宗教画家だったが、当時の田﨑さんは知る由もない。ただ置いてある絵を見て「ここでなら絵を習ってもいいかなあ」と感じたという。そしてそのアトリエで、田﨑さんは石膏デッサンを習い始めた。「スキーはそろそろ卒業して、何か長く室内で続けられる趣味を見つけたいな」といった軽い気持ちだった。

2年ほど石膏デッサンを続け、さらに油絵を始める。ところが田﨑さんにはあまり油絵が性に合わなかったのか、ぐずぐずと進まなくなってしまった。その様子を見てカルペンティール氏が勧めてくれたのが、北方ルネサンス系の絵の模写だった。

イタリアルネサンスと並び、15世紀のベルギー・オランダの絵画は、「北方ルネサンス」と言われ、独自の展開をした。カルペンティール氏は自国の素晴らしい伝統を伝えたいという思いもあって、油絵に消極的な田﨑さんに北方ルネサンス系の絵の模写を勧めたのだ。田﨑さんにとってそれらの絵の模写はとても面白く、次々と夢中になって描いていった。そして、その絵に額縁を付けようと持って行った額縁屋さんに勧められたのが、カルチャーセンターの「テンペラ画講座」だった。

講師は、石原靖夫氏。氏はイタリアで8年間修業し、6年かけてシモーネ・マルティーニの『受胎告知』という大きな絵の復元模写をした後、1978年に帰国したばかり。テンペラ画を本格的に日本で紹介した人である。

カルペンティール氏にしろ、石原氏にしろ、その世界での本当の実力者に出会えたということは、偶然としては出来すぎているようなことにも思えるし、出会うべくして出会った運命のようでもある。

時間がかかったって、古臭くったって、いいじゃない

とはいえ、田﨑さん自身は当時、その出会いの意味の深さに気づいてはいない。
「人の役に立たないことをやりたいと思っていました」と笑う。なぜだろう?

「だって、そのほうが自分だけの楽しみとして長い間できるでしょ?」

あるいは、会社の仕事に疲れていたのかもしれない。純粋に自分の好きなことを、自分勝手にやりたい。そんな気持ちであっただろうか。

テンペラ画は、下地から手作りし、およそ現代的なスピード感や経済効率からかけ離れたところにある。そんなテンペラ画に、田﨑さんは妙に心を動かされた。今までなじみのなかった前時代的作風に惹かれたのもあるし、油絵の粗いキャンパス地が好きでなかった田﨑さんにとって、テンペラ画のツルツルした石膏下地がこの上なく心地よかったこともある。

しばらくは油絵とテンペラ画を並行して描いていたが、5年ほど経ったときに「油絵に戻ろうか、テンペラ画を続けようか」と迷ったことがあるという。

下地は自分で一から作らなければならない。やり方は手順や制約も多く、時間がかかる。当時、世の中は1980年代に入り「何でも早く簡単にできること」がもてはやされる時代だった。

時代に逆行するようなテンペラ画と、それに夢中になっている自分。
「いったい自分は何をやっているんだろう?」と戸惑いを感じることすらあった。

「でもね。あるときふと気づいたんですよ。手間がかかって大変なことというのも、逆に面白いんじゃないかなって。いいじゃない、時間がかかっても、古臭くても」

吹っ切れてからは、テンペラ画の面白さや奥深さにどんどんはまっていった。もともと物事に集中するタイプだ。個展を開くまではフリーのプログラマーとして仕事をしながら、週末を中心に絵を描く。その後毎年個展を開き、全国を周って、展覧会を成功させる。精力的に活動を続けていった。

テンペラ画の製作過程を含めた本を出版

「羊皮紙に描くテンペラ画」(発行:株式会社 目の眼)

2017年3月。68歳になった田﨑さんは本を出版した。作品集にとどまらず、後半ページをテンペラ画の製作過程に費やしたのは、テンペラ画が廃れてしまうことを危惧したからだ。

「若い人がテンペラ画を始めようとしたときに、この本を見ながらすべてを理解するというのはなかなか難しいと思います。だけど、たたき台にはなるかなあという気持ちはあります。少しでもたたき台があれば『じゃあここが違うんだ』『こういう風にやってみたらどうだろう』といった“よすが”になりますよね」

日本でのテンペラ画を廃れさせない、継承していきたいという気持ちが、貴重な一冊を残す原動力となった。

【左】羊皮紙 195×136mm 【中】羊皮紙 173×114mm 【右】羊皮紙 153×122mm

すでにヨーロッパでは古いものとして廃れてしまったテンペラ画の技法が日本で残っているのは、実は日本人に向いているからではないか、と田﨑さんは感じている。

「テンペラ画って中世のものですから、最初は宗教画の模写から入っていきます。キリストやマリア様の模写ですから、なんだかとっつきにくいですね。でも、空間のとらえ方が実は日本画に近いんです。遠近法が出てくる前の時代の技法なので、平面的であり、装飾的であるというところが似ているんです」

だからこそ、日本で後継者が出て、この技法を継承してほしい。そう願っている。

麻紙 石膏10F

年齢と寄り添いながら、程よいバランスで楽しんでいく

今は、昔と比べて制作に携わる時間も減ってきた。
「昔は机に座ればすぐパッと描けたのですが、今はそこに至るまでのアプローチに時間がかかるようになってしまいました。これからどんどん体力がなくなると思うと、トレーニングもしなくちゃと思ってジムにも通ったりして、ますます時間がなくなって」と笑う。

日々の用事も増え、集中力もなくなる。そこをどうやって、身体や精神と相談しながらバランスをとって続けるかというのは、創作活動を続けていく上で誰もが向き合わなければならない課題なのかもしれない。

年齢に寄り添いながらも、自分の創作のさらに先を見据える気持ちが大切だと、田﨑さんは感じている。

時間をかけて絵に向き合う喜びを知ってほしい

一方で、古典技法を教えていく楽しさと使命も感じている。現在、テンペラ画教室で教えている生徒は、約20人。教室では、まずイタリアルネサンス絵画の模写から入っていく。ひとつの絵に時間をかけて向き合っていくと、その都度新しい発見と喜びがあり、完成したときの達成感がある。その喜びを知った生徒たちの姿を見るのは、楽しいことだ。

また、田﨑さんは額縁製作にも長く携わってきたので、生徒たちの絵に合わせて額縁を提案し、製作のサポートをしている。テンペラ画の素材と同じもので額縁を作っていくので、絵と額縁のバランスがしっかり取れた作品ができていく。当初は絵にしか目がいかなかった生徒たちが、初めて額縁にも気が向くようになる。美術館や展覧会などに行っても、より深く、総合的に絵を見られるようになってくる。ゆっくり時間をかけて絵を描くこと。色々な角度から絵を楽しむこと。それを生徒たちが知っていき、少しずつ成長してくれるのが嬉しい。

テンペラ画との付き合いは、すでに40年近くなる。しかしその付き合い方は少しずつ変わってきた。

自分自身が楽しければよかった、趣味の領域だった頃。
ただただ時間を忘れ、熱中して描き続けていた頃。
人に伝えることを考え始めた頃。
人に教え、その楽しさを発見した人を見て喜びを感じる、今。

おそらく、人生の中で何か一つのことを続けていくというのは、こういうことなのだろう。いつの間にか田﨑さんはテンペラ画の「伝道師」の役割を果たし始めている。

「いつの間にかね。そんな風にね」

田﨑さんは、コロコロと鈴のなるような可愛らしい声で笑い、いたずらっぽい目でこう教えてくれた。

「でも、今でも変わらず一番肝心なのは、自分が楽しく思えるかどうかなの」

(取材・文:宗像陽子 写真:金田邦男)

田﨑裕子テンペラ画教室(個展と教室展のご案内)

https://tempera-tasaki.jimdo.com/

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