制約のある人生を楽しむ。
希望の光に寄り添う「影」を受け入れながら

54歳で退社し、写真作家としてセカンドライフを生きる、生越文明さん。モノクロの一見不思議な雰囲気の写真を通して、生越さんが伝えたいことは何だろうか。

体調異変は、突然やって来た

生越さんが自分の体に異変を感じたのは2010年のことだ。盆明けのまだ暑い時期、咳も鼻水も出ないのに寒気が止まらず、夜にはついに痙攣で倒れてしまった。体温も40度を超えており、病院へ。詳しく調べてみると、国の指定難病である「多発性嚢胞腎(たはつせいのうほうじん)」であることがわかった。

腎臓は通常の4~5倍ほどに膨れ、嚢胞がたくさんできていた。おそらく子どもの頃から少しずつ悪化していったものと思われた。根本的な治療はなく、経過観察に。しかし2012年には腎臓に菌が入り、感染症で2週間入院となる。その時点で生越さんは、勤めていた会社を辞める決意をした。まだ54歳。この長寿時代においては「働き盛り」といってもいい年齢だ。

「お金のために自分の時間を費やすより、これからは自分に素直に好きなことをやろうと思ったのです」

生越文明(おごしふみあき) 1958年横浜生まれ。32年間のサラリーマン生活に終止符を打ち、2013年より日本写真学院にて写真を学び、フリーランスの写真作家として、街中の風景を中心としたモノクロ作品の制作をする傍ら、ウエディング、モータースポーツ、ライブなどの撮影もこなす。オリンパスのプロ会員。主な写真展は 「めぐりあい(東京/熊本)「Tokyo / Yokohama 2013-2015 Buildings(東京)」「Within 8 hours ―限りあるなかで―(東京)」など

自分の名前だけで、ひとつの完成品を作り出したい

会社やその役職に執着しない。そう決意ができたのは、父親の影響もある。
生越さんの父親は自動車雑誌などに記事を書くフリーランスのライターだった。取材で1ヶ月以上も家を空けることもあれば、朝から晩まで原稿用紙に向かっていることもある、普通のサラリーマンとはちょっと違う父親だった。

「父がよく言っていました。『世の中の人は、会社の肩書きで生きている。俺は、自分個人の名前だけで生きている』とね」

楽しそうに語る父を見て育った生越さんは、サラリーマンになったものの、いずれは会社を辞め、個人の名前で生きたいという気持ちが常に頭にあった。そして、会社以外にも自分の世界を持ちたいと、さまざまな趣味に熱中していった。
スキー・アーチェリー・キャンプ・サイクリング・テニス・料理・旅行……。

そして、多彩な趣味の中で、病後、最終的に選んだ「人生の相棒」が、写真だった。趣味としての写真歴は、それほど長いわけではない。2007年の新婚旅行の時に初めてデジカメを買って楽しんだことが、きっかけといえばきっかけであっただろうか。

なぜ、写真に魅力を感じたのだろう。
「うーん」と考えを巡らせ、ていねいに言葉を選びながら生越さんは語る。

「実は、自動車業界にずっといて、エンジン部品の設計に関わってきました。たくさんの人が関わっていろいろな部品が形になっていくのは、それはそれですばらしい。でも、完成したものは自分ひとりで作ったわけではありません。エンジン部品の設計をしたのは自分かもしれないけど、外から誰からも見えるものでもない。自分の名前が残るわけでもない。病気のこともありましたし、何かをひとりで一から作りたい。それが世の中の人の記憶に残ればなお嬉しいと言う気持ちでしょうか」

こうして、サラリーマン時代の2007年から学び始めていた写真技術にさらに磨きをかけるため、退社後の2013年からは日本写真学院で写真を学び、マスタークラスまで修了した。

モノクロと線にこだわり、被写体をデザインしていく

生越さんの写真はモノクロのみだ。働きだしたころはCADなどがなく、ドラフターを使って手書きでエンジン部品の設計をやっていた生越さんが常に向き合っていたのは、鉛筆の線だった。真っ白な紙にスーっと黒い線を引いていく。

「自分は色のない世界に住んでいたのです。線を引っ張っては、いろいろな形を作っていきました」

2016年に『Tokyo/Yokohama 2013-2015 Buildings』という、ビルばかり写している写真展を開催した。とくにビルが好きなわけではない。生越さんが興味を惹かれるのは、線だ。

「ビルのデザインっていっぱいあるじゃないですか。その線を追いかけていたのです。子どものころは、自動車の形ばかりを追いかけていた。そういうのがもともと好きなのでしょうね」

全体の形というより、何かをかたち作る、洗練された線が好き。「Buildings」の写真を眺めてみると、確かにビル全体ではなく、切り取られた線がフレームに収まっている。

「僕の写真は、とにかくおしゃれでかっこよくしたい。写真って、あくまでも被写体は他人のつくったもの。でも、フレーミングして四角いところに当て込んだ時に、もう一度自分でデザインを仕上げる感覚があるのです」

ファィンダーの四角い枠に収まった線という新しいデザインは、被写体そのものとは全く別の輝きを放つ。

『Tokyo/Yokohama 2013-2015 Buildings』より(写真:生越文明)

写真で表現する「人生の光と影」

作家というのは、自分の表現したいものを自ら創り出していくものだ。自分の内面をさらけ出し、何らかを表現している。

生越さんが写真を通して表現したいもの。それは「光と影」だという。幾何学的なモノクロ写真の中で、明と暗、陰と陽、影と光がくっきりと表現されている。柔らかな光というよりは、むしろ痛いほどの明暗が描かれる。

生越さんにとって、光は「希望」だ。

「病気があっても、毎日なにか楽しいことを見つけて、生活をし、生き永らえている。そんな今の状態であり、心理です。“夢”と言ってもいいかもしれません」

どんなに前向きになっていても、常に不安はつきまとう。実際、不調はある日突然現れる。不安、心配、怖れは、表裏一体で光につきまとう。それが「影」だ。

生越さんは、病気とはいえ、話すことも外を歩くこともできる。けれども、病気治療のための制限は多い。食事制限もあるほか、2016年3月からは病気の悪化に伴い、腹膜透析をしている。腹部カテーテルから1回につき2リットルの透析液を入れ、古い透析液を排出させる。8時間以内に新しい透析液を入れないと毒素が体内を回ってしまう。腹膜透析は自宅でできるものの、排出された透析液がちゃんと2リットル出ているか、その状態は悪くないかチェックをしつつ、朝・昼・晩・寝る前と、1日4回入れなければならない。カテーテル出口部の感染リスクを防ぐために湯船に浸かることもできないし、透析治療中はエアコン使用も避ける。ほこりが舞って、感染リスクが高まるからだ。毛の多いペットを飼うこともできない。

どんな所用も、8時間以内には自宅に戻らなければならない。電車や車の利用もできることなら避けたい。かつては旅行が趣味であったが、治療のため遠くへは行けなくなった。近くの東京に行くことはあるが、事故などで電車が止まってしまうのは怖い。

常に「死」を意識せざるを得ない。
2017年1月開催の写真展のテーマを「Within 8 hours」としたのは、そんな背景があった。

このオリンパスの写真展が大成功に終わったあと、生越さんはオリンパスのプロ会員となった。名実ともにプロの写真作家として認められたのである。

「Within 8 hours」より(写真:生越文明)

制約を受け入れ、出来ることを深める

病気になってから、生越さんは「障害」ということについても考えるようになった。障害者手帳をもつ身であるゆえ、自身も「障害者」ということになる。

障害とは何だろうか。「行動に何らかの制約のある人」と定義できるのではないか、と生越さんは思う。手や足に障害のある人もいる。通常の思考回路に制約がある人もいる。自分も難病のため、さまざまな制約がある。

「それでも、そういった制約があるから『かわいそうだ』と言われるのは、どこか的外れであるように思うのです。これは個性で、健常者の方と立ち位置が違うだけなのです。だからこそ見える風景も違うのです」

たとえば、写真にしても制約があったほうが良いものを撮れることもあるという。ズーム機能を使わない、という制約があれば、自らが近づいたり引いたり、上ったり這いつくばったり、自分で動くだろう。そうすることで、いい写真を撮るにはどうしたらよいかということが身体でわかっていくし、実際にいい写真が撮れると生越さんは考えている。

生越さんは、自身の制約のため、制作活動のメインの場を自宅に近い横浜周辺にしている。自宅の目の前は中華街だ。山下公園や大さん橋もほど近い。赤レンガ倉庫やみなとみらいも歩いていける範囲だ。身近なところを歩き回っていると、横浜の歴史に興味が湧き、調べるうちにますます愛着が増していった。

新たな世界を広げていく

横浜の歴史を理解しつつ、被写体として建物や風景をモノクロで撮っていく。2017年春からは、『モノクロ写真の街歩き』と題した撮影ツアーを開催。横浜の街を巡り、歴史のある建造物を案内し、ブラタモリ的な楽しみ方をしつつ、モノクロ写真の撮り方を写真愛好者たちに伝える。かなり好評だ。

わずか3時間ほどのツアーだが、最初はカメラの構え方もぎこちなかった参加者たちが、終わる頃にはなかなか様になっている様子をみるのもまた楽しい。新たな人との繋がりもできた。

制約がなければ、これほど横浜にこだわることもなかったかもしれない。
そして、そのおかげで出会えた喜びもまた、たくさんあった。

現在のところは完治の見込みがない病気ではあるが、生越さんは明るい。影法師のようにひたりと張りつく病と静かに寄り添いながら、夢も希望も忘れていない。やりたい夢、行きたいところは、まだまだたくさんあるのだ。

実は、この取材後、生越さんは入院することになり、また状況が変わったと連絡があった。腹膜透析から、血液透析に移行するのだという。退院後は週に3回、病院で透析を行う生活となる。

今までの「必ず8時間以内に帰らなければいけない」から、今度は「週に3回病院へ」という制約へかわる。言い替えれば、治療のない日は時間を気にせず遠出もでき、湯船にも浸かれる生活となる。

「だから、僕の立ち位置は『Within 8 hours』から『Every other day』へ大きく変わります。同時にこれが、これからの私の作品テーマともなります」

そうメールを送ってくれた生越さんは、新たな制約のある道を歩き始めた。

並大抵の道のりではない。しかしそこにはまた、新たな、今まで見たこともなかった「光」も射しているに違いないと思う。

(取材・文:宗像陽子 写真:金田邦男)

生越文明 Monochrome Life

http://kasutera.wixsite.com/ogoshfmi

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