被災した着物を通して、
震災の記憶と着物のすばらしさを伝え続ける

東日本大震災から6年半。未だに傷跡が癒えず苦しんでいる被災者もいる中、一方ではこの大災害の記憶が日々風化している事を感じるときも少なくない。震災の記憶を伝えるプロジェクトを継続して行っている、しおみえりこさんに話を伺った。しおみさんは「何」をしているのか。そしてそれには、どんな意味があるのだろうか。

楽器支援から始まった東北とのつながり

チリリンと涼やかな呼び鈴を鳴らすと、無造作に髪をまとめたしおみさんが笑顔で出迎えてくれた。ここは、「Artistic Studio LaLaLa(アーティスティック スタジオ ラララ)」。緑豊かな多摩の一角にある不思議な空間であり、「できることをできるだけプロジェクト」の本拠地だ。

さまざまな色にはめ込まれたタイル、古ぼけた針金細工やアクセサリー、舞台の小道具、ピアノ。どれも雑然と置かれているようで、どこか居心地がよい。大きな窓の外には、公園の緑がいっぱいに広がる。しおみさんはこの窓からの景色をみて、自身の活動スペースとして、倉庫として、思索スペースとしてここを借りることを即決したという。

しおみさんは、音楽プロデューサーとして、夫であるクラリネット奏者の橋爪恵一さんと二人三脚で独自の活動を続けている。その大きな活動の一つ、「できることをできるだけプロジェクト」について伺った。

2011年3月11日、未曾有の大震災が東北地方を襲った。震災のあと、多くの人が「自分たちに出来ることは何か」と悩み、無力感にさいなまれていた。音楽家たちもまた、同様だった。

そんなとき、しおみさんの元に一通のメールが届く。差出人は、東北の高校が名を連ねる「吹奏楽部連盟」の事務局となっていた、東北高校吹奏楽部の顧問の先生からだった。

「子どもたちの楽器が流されてしまいました。楽器を寄付してもらえないでしょうか」

何か行動したいが、何をしたらいいかわからずにいたしおみさんや音楽家の仲間たちは、「これならできる」と、すぐに行動を起こす。メディアにも呼びかけ、トロンボーンやクラリネットなどブラスバンドで使う楽器を東北高校に送った。その数は実に300以上にも及んだという。このことがきっかけになり、さまざまな人と知り合い、その中で石巻の先生から、石巻の惨状について聞くこととなった。

そして、震災からわずか3ヶ月後。2011年6月に、しおみさんたちは石巻の地に立っていた。

しおみえりこ 北海道札幌市出身。音楽プロデューサー。「できることをできるだけプロジェクト」代表。音楽と、震災で被災した着物を通して震災の記憶を伝える活動を続けている。

被災した着物を、ステージ衣装へリメイクする

「石巻がどこにあるのかも知らなかったのよ」と言うしおみさんだったが、石巻で「かめ七呉服店」と知り合うこととなる。これが、彼女のその後の人生の大きな転機となった。

「かめ七呉服店」は、津波で天井まで水に浸かるという被害に遭った。着物はほとんどヘドロまみれとなり、すべて売り物にならなくなってしまったという。

店を訪れたしおみさんに、女将である米倉絹枝さんは、一枚の留袖を譲ってくれた。状態はそれほど悪いものではなかったが、シミがあったり泥がついていたりして売り物にはならない。米倉さんにすれば「こんなところまで来てくれたのに、お礼にあげるものは何もないの」という気持ちだったが、大切なものには違いない。しおみさんもまた、「ここに来た、という証になれば」と、ありがたくその留袖を受け取る。

東京に帰って、たまたまパーティーに呼ばれたしおみさんは、いただいた留袖にハサミを入れ、リメイクして着ていった。あの震災で被害を受けた着物であること、支援のお礼にいただいた経緯などを話すと、パーティーに来ていた人たちは大変感銘を受けていたようだった。

そこで、しおみさんは考えた。夫は音楽家であり、しおみさん自身はプロデューサーをしている。コンサートなどで着るステージ衣装にすれば、被災した着物も役立てることができるのではないか。着物としてではなく、ステージ衣装に仕立てて、きれいに洗って使っていけるのではないか。さっそく、被災した着物をたくさん送ってくれるよう米倉さんに連絡をとった。ところが、米倉さんからはなかなかいい返事はもらえなかった。それは……。

汚れに汚れた着物を蘇らせる中で、
着物の素晴らしさを知る

ようやく送られてきた荷物を開けてみたときに、しおみさんは、米倉さんが渋っていた意味を瞬時に理解した。

強烈な臭いである。洗えばどうにかなると思っていたが、その臭いというのは、一体なんと表現したらよいのだろう。

「なにもかも一緒くたになった臭いです。ヘドロも泥も油も、なにもかも……」

しかし、しおみさんは投げ出すことはしなかった。それは夫の橋爪さんも同じ思いだった。「これ、なんとかしなくちゃ!きれいに洗わなくちゃ!」と、何度も何度も洗濯機を通し、それでも取れない臭いは重曹水につけておき、ようやく臭いを取った。

「特別にいろいろと頭で考えなくても、とにかく今できることをする。困っている人がいたら、助けなくちゃ。汚れているものがあったら、きれいにしなくちゃ。子どものころ、ガールスカウトに入っていたから、『備えよ常に』という精神が染み込んでいるのかしら。そして夫はなんとボーイスカウトだったのよ。だから精神は同じ!」

しおみさんは、カラカラと笑う。

強烈な臭いをとって、天日に干す。次は着物をほどく。ほどいていく過程で、しおみさんは着物がいかにすばらしいかを知ることになる。同じ幅の布で組み立てられており、一切の無駄がない。織り・染めの水準が高く、模様には四季折々のセンスが凝縮されている。なんて美しいのだろう。なんて日本人はすばらしいのだろうかと感嘆しつつ、ハサミを入れる。

衣装としてリメイクする一方で、それほど被害がひどくなく、ほどくには惜しいような着物に関しては、そのまま取って置く。

「若い人にどんどん気軽に着てもらう機会を作ってもいいわね。着物ってこんなに素敵なんですもの。気兼ねなく着てもらって、着物に慣れて欲しいものだわ」

無心になって手を動かすことで、思いは膨らみ、アイデアはどんどん生まれていく。しおみさんは、ヘドロと格闘し、臭いを取り、一枚ずつ丁寧に天日に干し、着物をほどく…という作業をしながら、次にすべきことは何か、ひたすら思考する。そしてそれを夢想に終わらせず、具体的な段取りを整え始めた。昔、広告代理店にいたときの行動力が物を言った。

思いを実現するために、多くの人が動き始めた

まず、ステージ衣装にするためには援軍が必要だった。幅広いネットワークを駆使して、しおみさんは、デザイナーや洋裁を生業とする人たち10人ほどに衣装作りを頼んだ。もうすでに現役を少し退いた人たちは、喜んで作ってくれた。

そのまま打ち捨てられても仕方のなかった着物がステージ衣装として蘇ることは、作り手としてもやりがいがあり、夢を感じる作業に違いない。今でも次から次へと舞台映えのする衣装は作られ続け、それは「東北を忘れない」というメッセージの伝い手としての役割をしっかりと果たしている。

その衣装を作る過程では「ハギレ」が生まれてくる。しかしこのハギレもまた、津波の記憶の断片だ。そのまま捨ててしまうわけにはいかない。
どうしようか。何人かの人に相談した結果、始まったのが「5×5NEXT できることをできるだけプロジェクト」だ。

できることをできるだけ

1枚50センチ四方の布の作品を作り、東日本大震災の記憶をつなげるのがこのプロジェクトだ。「お裁縫ができないから」「どんなデザインにすればよいかわからない」と尻込みをする声が聞こえそうだが、それほど難しい話ではない。

事実、作品群を見てみると、一つひとつは至極簡単なもので十分であることがわかる。

お約束は、50センチ四方の中のどこかに、津波に遭った着物のハギレを入れること。ただそれだけだ。自分自身の思い出の布を使ってもいい。ただ少しだけ、津波の記憶を入れてくれれば、それでいいのだ。

こだわりのある芸術作品でもよいが、そうである必要は全くない。「できることをできるだけ」なのだから、身の丈にあった参加の仕方でいい。色もデザインも自由。上手くても下手でも構わない。針と糸が使えない人は、ハギレを糊で貼り付けるだけでもよい。

2012年8月。被災地の吹奏楽部の生徒たちによる「みちのくウィンドオーケストラ」の演奏会が東京のサントリーホールで開催された。そのロビーに、この50×50の作品が77枚飾られた。これが最初のお披露目となった。

その後、しおみさんは自宅でワークショップをしたり、コンサートで呼びかけたり、情報を発信したりする中で、徐々に作品たちは増えていった。どれも強制力のない「自分たちでできることをできるだけ」と手を挙げてくれた人たちの手によるものだ。

しおみさんは、仕事でもプライベートでも世界中を旅する。そしていつも必ず、布を携えていく。コンサートなどでは国際交流の人たちと関わることも多いので、「現地でワークショップをしたい」と声をかけておくと、協力者は必ずといっていいほど出てくる。

「みんなでおしゃべりしながらチクチクするのは楽しいんですよ。こういうことは楽しくないと続かないからね」

2017年夏、カナダバンクーバーのワークショップにて

6年半で約2000枚の作品。参加国は28カ国!
全国チャリティーツアーも実施

2016年には、全国11ヶ所を周り、チャリティーコンサートツアーを行った。演奏者たちは、着物をリメイクした衣裳をまとい、コンサートのステージに立ち、震災のことを忘れないというメッセージを送る。舞台やロビーには、被災した着物のタペストリーが飾られる。このコンサートツアーの間にも、100枚の作品が新たに加わった。

このタペストリーのすばらしいところは、1枚1枚が独立しており、糸でつながっていないことだ。そのため、どんなホールでも、広かろうが狭かろうが、縦に長かろうが横に長かろうが、飾る場所によって如何様にも形を変えられる。(一つひとつを安全ピンで繋げるという作業がその都度待っているのだが……)

6年目となった現在、作品は2700を超え、参加国は26カ国にも及ぶ。参加した人は、下は1歳半、上は95歳!

コンサートツアー後は、東京・新宿の全労済ホール「スペースゼロ」が昨年に引き続き布の展示を申し出てくれ、観客席と舞台とをタペストリーで飾ることができた。一つひとつの作品は、お世辞にもすばらしいとは言えないものもあるが、たくさん集まると何とも美しく、パワフルな作品になる。しおみさんは言う。
「一つひとつの声が小さくても、たくさん集まれば大きな力になるという証だと思うの」

全労済ホール「スペースゼロ」にて
2017年夏、Artistic Studio LaLaLaの隣の立川公園にて、タペストリーの虫干しを実施。2000枚の作品を並べた。壮観!

五輪の開会式をタペストリーで飾りたい

しおみさんには大きな夢がふたつある。ひとつは、2020年に石巻にできる新しい文化ホールの緞帳に、このタペストリーを使って欲しいということ。

「1000枚あれば文化ホールには十分だと思うから、あとは沿岸線の行政の施設に飾ってもらったらどうかしら」

もう一つは、やはり2020年に開催される東京五輪の開会式にこのタペストリーを登場させたいということだ。

「東京五輪は復興五輪のはず。これほどお金もかからず、多くの人の思いがこめられたメッセージ作品はないと思うの」。

そのためには、このプロジェクトをますます広めて行くことが必要だ。パンフレットや今までの活動を記した冊子は、しおみさんが夜なべをして製作している。情報を広く発信し、手を挙げてくれる人が来るのを待っている。

「できれば参加する国すべてから、作品が1枚でもくればうれしいじゃない」

開会式に使うなら、デザインは「昇り龍」にしたい。昇り龍の龍のウロコ一枚一枚がこの作品群だ。空に力強く昇っていく姿は、被災地の人たちの希望となるのではないか。

夢を実現させるために、まだまだ布を片手に活動を続けたいと語るしおみさんだ。かめ七呉服店には、まだまだ津波の被害にあった着物が眠っている。

「それがなくなるまではやろうと思っているの」

「東北を忘れない」広がる支援の輪

筆者が感じたのは、人と人とのつながりについてだ。6年前の震災後、一通のメールから始まったこの物語。しおみさんが強く思いを持つことで、どれだけ多くの人がつながってきたことだろう。もちろん、実際に作品を作った人もそうだが、それだけではない。

人を紹介してくれた人、具体的にアドバイスをくれた人、着物を洗ったり、ほどいたりする作業を手伝ってくれた人、衣装を作ってくれた人、コンサートでメッセージを伝えてくれた人。

東北と東京を頻繁に行き来するためには、活動の趣旨を理解し、カンパをしてくれる人もいなければ活動は続かなかった。

人とのつながりの中で、活動が継続できたことをしおみさんは「神様が味方をしてくれていると思っているのよ」とサラリと言った。

取材日にも、秋に企画するコンサートでこのプロジェクトとコラボをしたいという女性グループが打ち合わせに来ていた。リメイクした衣装を着てもう何度もコンサートを行っているという音楽家は「さらにプロジェクトに参加して『東北を忘れない』運動を広げたいんです」と語ってくれた。

「東北を忘れない」
「この着物、洗わなくちゃ」
「なんとかしなくちゃ」……。

しおみさんの思いは、池に投げられた小石が静かに波紋を広げるように、その輪を広げている。今この時も。

(取材・文:宗像陽子 写真:金田邦男)

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