子育ての本質は人生そのもの。
時間も手間もかかるが、
愛情をかけて見守れば花は咲く

自宅を開放して、子育て支援「親子スペース 麦」を運営する中野さん。スタートして18年、子育てにとまどう多くの母親たちを支えてきた。「育児の常識」が時代とともに変化する中で、このスペースは変わらぬ佇まいで母親と子どもを受け入れてくれる。保育の本質とはなんだろうか。そして、受け入れてきた中野さんの思いとは。

創造力と愛を育む手作りおもちゃでお出迎え

JR国分寺駅から東村山駅まで走る西武国分寺線に「恋ヶ窪」というどこかロマンティックな響きをもった名前の駅がある。そこから5分ほど歩けば、中野朋子さんの自宅を兼ねた「親子スペース 麦」に着く。

うっかり通り過ぎそうなほど、ごく普通の一軒家。窓に飾った小さな看板で、それとわかる。
室内に入れば、二部屋分のスペースにずらりと並ぶ手作りおもちゃの数々。お手玉、カード、おままごと、小さな椅子、テーブル、人形、車、隠れ家になりそうなスペース……。

慣れている子どもたちはすぐに、お気に入りのおもちゃのところに飛んでいく。

「麦」のおもちゃは、手作りのものが多い。牛乳パックを使ったブロック。フィルムケースをフェルトで包み、中にどんぐりやお米、ビーズなどを入れた「ケーキ」。お手玉。美しい紙を貼った入れ子の箱。ペットボトルだって、水ときれいなおはじきを入れれば遊び道具に変身する。幼児が夢中になる人気のおもちゃたちだ。

子どものみならず、大人も思わず手に取ってしまうおもちゃは、ワクワクする仕掛けがいっぱいだ。紙、牛乳パック、木、布、身近なもので作られたそれらは、手に取る人の創造力を刺激し、あたたかさが心に染み込んでいく。

「ああこれこれ! こんなの昔、家にあったなあ。おばあちゃんの家だったかなあ」

その懐かしさに、大人たちもあっという間に幼い頃へタイムスリップしてしまう。それほど広くないスペースには、驚くほど奥行きのある世界が広がっていた。

懐かしさあふれる手作りの編みぐるみ。おままごとコーナーには優しい手触りのおいしそうなおにぎりやワッフル、パンも。色とりどりのフェルトを包めば、サンドイッチもすぐ出来上がり。女の子のお化粧スペースも完備。二段ベッドは読書コーナーになったり、ときには秘密基地になることも。

40歳で保育士免許を取得。52歳で「麦」を立ち上げる

「麦」は当初1999年に、JR国分寺駅近くでスタートした。始めたのは、中野朋子さんと中川享子さん。その後移転して、現在は中野さんの自宅で活動を継続している。

中野さんは、結婚して二人の子どもに恵まれた、ごく普通の主婦だった。わらべうたや人形劇に心癒され、幼稚園では保護者として人形劇のサークルに入る。そんな活動を通して、中野さんの子育ては楽しく充実したものとなった。

語りかけるような手遊びや、懐かしいわらべうたについて追求しているうちに、「コダーイ芸術教育研究所」に行き着いた。コダーイの保育理論を学ぶうちに、子育てがいかに人生において大切で貴重な機会であるかということを思い知ったという。自分ももっと保育に携わりたいと考え、保育士の資格を取ったのが40歳のときだ。長女は中学生、次女は小学校高学年になっていた。

念願の保育士となり、12年間保育園で働いたものの、52歳のときに大きな怪我をしてしまい退職。それでも大好きなこの仕事から離れる気持ちはなかった。保育と若い母親のサポートをしたいという思いで、同僚だった中川さんと立ち上げたのが、未就園児(0歳~3歳)と母親のための「麦」だ。

「麦」は有料会員制で、親子で通い、中野さんらプロの保育士に見守られながら自由に遊ぶことができる場だ。

今でこそ「子育て支援」は声高に叫ばれ、地域によっては子育て支援センターなどが充実している。しかし1999年当時はまだそれほどとは言えず、「麦」のようなスペースは貴重だった。

中野朋子 昭和22年生まれ。子育て支援「親子スペース 麦」主宰。40歳で保育士の免許をとり、52歳で「麦」をオープン。地域の若い母親と未就園児を支えている。

一人ひとり違う子どもの成長を、時間をかけて見守る

「麦」が有料会員制としているのは、「いつも同じメンバーに出会えて、継続して通ってくる環境を整えたい」という考えからだ。

「麦」のオープンは週3回。出欠席は自由。変わらない環境、変わらない笑顔で、中野さんは親子がやってくるのを待っている。一斉保育はない。その子が興味を持った遊びに、適切なタイミングで声がけをしてあげたり、ときには手助けをする。

もう一つ「麦」が大切にしていることは、母親のサポートだ。何に悩んでいるのか、なぜ悩んでいるのか、淡々と受け入れて話を聞く。

母親たちにとって中野さんの存在はとてもありがたいものだ。話を聞いてもらうだけですっと楽になることもある。「こんな場合はこうすれば」といった簡単なアドバイスでぱっと目の前が開けることもある。「大丈夫よ」の一言で救われることもある。普段から一人ひとりの子どものことをよく見て理解してくれているから、悩みに対してもその場限りの当たり前な回答になることもない。

「時間も手間もかかるけど、愛情をかけていれば子どもたちはちゃんと成長していくの」

中野さんは、母親たちに寄り添いながら時間をかけて思いを伝えていく。

親子同士の交流も、また楽し

取材日に遊びに来た親子は2組。最初に訪れたのは、はじめて来た親子だった。

「夫は仕事が忙しくて、実家も遠いので一人で育児をしています。アットホームな環境で私たちの成長を近くで支えてくれる方、アドバイスをしてくれる方を探して『麦』にたどり着きました」

ゆっくりと部屋を見回した10ヶ月の赤ちゃん。これからたくさんの遊びを覚え、家族や中野さんに見守られ、成長していくことだろう。

しばらくすると、もうひと組の親子がやってきた。4月から幼稚園という3歳の男の子は、すぐに大好きな動物のおもちゃで遊び始めた。週末に動物園に行ったことを楽しそうに中野さんに報告する。

自分の子より少し年齢が上の子の様子や、その子への関わり方を見ることは、母親にとって興味深いことだ。お互いに簡単な自己紹介をすませると、母親同士はすぐに親しく話し始めていた。

3歳児の母親が、中野さんに対する感謝の気持ちを話してくれた。
「生後半年のときから通って3年経ちました。ここでは親がゆったりとした気持ちで子どもを見ていられて、中野さんになんでも相談できます。子育ての時って日々悩みが変わっていきますよね、そんなときにリアルに聞けるのがありがたかったです」

地域に広がり、それぞれの道を歩み始める母親たち

中野さんにとって「麦」とはどういう存在なのだろうか。

「ライフワークと言っていいでしょうね。ここでは、子どもたちがどんどん成長していく姿やお母さんが変わっていく姿を見ることができます。お母さんたちが次第に自信を持ち始める様子を見るのは、本当にうれしいことですね」

中野さんはやわらかな笑顔とともに語る。

年に1~2回、卒業生ママたちが「麦」に集まるそうだ。かつて、はじめての育児に自信を失いかけていた幼な子の母親たちは、今どんどん自らの力で立ち上がり、自分の道を歩き始めている。中野さんのように保育士になった人もいれば、地域で子ども食堂を始めた人もいるという。

愛情をもって取り組むこと、時間をかけて成長を見守ることの大切さ。それは子育てだけではなく、人生そのものに通じる。それがわかったときに、母親たちは自らの新しい人生を、自信を持って歩き始めることができるのだろう。

中野さんの蒔いた種はしっかりと風に乗り、地域で芽を出し始めているようだ。

(取材・文:宗像陽子 写真:金田邦男)

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