ニーズに合わせたこだわりワインで
日本独自のワイン文化に貢献する

30年越しの夢が叶い、ワイナリーを立ち上げた村田さん。なぜ会社勤めをやめ、あえて苦難の道となるワイナリー立ち上げを決意したのか。なぜ、何もかもひとりでこなしているのか。そこには貫きたい「ワイン哲学」があった。

国道沿いにたたずむ小さなワイン醸造所

伊那市は、長野県南部に位置する人口7万人ほどの市だ。
取材日は山から吹き降ろす風が冷たく、しんしんと底冷えのする日だった。目指す「伊那ワイン工房」は、伊那駅から車で15分ほど走った国道沿いにあった。

昔は病院だった建物を買い取ったというワイン工房兼住居は、一見すると近寄りがたい。しかし、玄関周りには花が飾られ、木材を使って温かな雰囲気を醸し出し、訪問者を出迎えてくれる。中に入れば、「薬局」や「レントゲン室」といった文字が、かつてこの建物が病院であったことを思い出させる。

村田さんに案内され、敷地内にある倉庫に足を踏み入れる。ふんわりと甘い香り。倉庫内には、いま発酵中のぶどう300キロ入の容器が、40余りも置いてある。

取材の1週間ほど前に、すべてのぶどうの圧搾の工程を終えたところだ。ほっとしたのも束の間、フレッシュなワインの出荷が直ぐに始まるという。
「独立したらもう少し暇な時間もあるかなと思ったけれど、なかなかなくって」と、嬉しそうな村田さんだ。

村田純 55歳。有限会社ムラタ社長。醸造メーカーをいくつか勤めた後、2014年に「伊那ワイン工房」を立ち上げる。小さなロットで果実を引き取り、細かいニーズに応えながらクライアントの望むワイン作りに心血を注ぐ。長野県伊那市在住。

「社長の夢」を「自分自身の夢」として引き継いで

従業員もなく、夫婦ふたりで切り盛りする伊那ワイン工房は、2014年秋にオープンした。

「ワイナリーを始めたい」という夢が突如、村田さんの人生に降ってわいたのは、村田さんの就職活動時のことだ。もう30年以上も前になる。

初めて就職した会社はワインとは異業種だった。だが、面接のときに社長が「ぶどう畑を持ってワイナリーを作りたいんだよ」という夢を語り、「私がそれをやります!」と村田さんが答えた。その一言で、社長の夢を実現するため「社長付」で採用されたという。今のご時世ではなかなか聞けないようなエピソードだ。

村田さんは、その会社でワイン造りの基礎を学ばせてもらった。数年で退職したものの、その後ずっとワイン醸造に携わることとなったのだから、縁とは不思議なものだ。

その後、いくつかの醸造メーカーに勤めながら「いつかワイナリーを自分の手で」というかつての社長の夢は、いつのまにか村田さん自身の夢になっていた。

ワイナリーを自分の手でオープンするためには醸造免許が必要だ。しかしその取得は極めて難しい。国家資格もなければ、専門的に教えてくれる学校もない。敷地・建物・販売ルート・資金計画など、多々ある条件の一つでも欠ければ免許取得は不可能だ。
ひとりの資金で購入できる「醸造に適した不動産物件」がそうそうあるものでもない。これは、と思える不動産情報をチェックしたり、実際に見に行ったりするのは、村田さんにとって半ば趣味のような、半ば習慣のようなものとなっていた。

こうして何十年も過ぎたある日のこと。別の物件を見に行き、気に入らず落胆しつつ帰る道で「売出中」の元病院を見つけ、購入に至る。

この建物を得たこと、長年醸造メーカーで働きワイン醸造の経験を積んでいたこと、人脈が広がったことなどにより、2014年秋にはついに免許を取得。念願の伊那ワイン工房をオープンさせることができた。「ワイナリーを作る」という命題をいただいたときから30年が過ぎていた。

とことんニーズに寄り添い、
小規模ワイナリーの強みを生かす

果実の栽培は農家に任せ、醸造に特化する伊那ワイン工房の最大の特色は、小規模であることだ。

通常のワインメーカーは、ワインを醸造するために農家からぶどうやりんごなどの果実を引き取る。その単位は最低でも1トンから。1トンのぶどうからできるワインは、だいたいボトル800本程度。果実を運び込み、ワインが出来上がった暁には、それらをすべて引き取らなければならない。

そこで村田さんは100キロから受け入れをしている。大きな醸造メーカーでは対応しきれない細かいニーズに対応できるのが、伊那ワイン工房の強みだ。

「おらのぶどうでも、ワインを作れるのかい?」

そんな問いかけから、農家の人と村田さんとのワイン造りは始まる。
村田さんは「もちろん、どんなぶどうでもできますよ」と受け入れながら、「誰に向けて、どういう目的でワインを作るのか」という聞き取りにじっくりと時間をかける。

ワインを作る目的は人それぞれだ。
「脱サラして、ぶどう畑を始めた。ゆくゆくはワインも作ってみたいが、まだ醸造免許もないので作って欲しい」という人。
「収穫まで手伝って、結婚式で自分たちの作ったワインをふるまいたい」という人。
「とにかく、自分で作ったぶどうでできた酒を飲みたい」という人。

目的がわかれば、味を決め、それに応じた作り方をする。
すぐに売りたい人には、早く作って早く出荷するために、フレッシュな味わいを生かして作る。自分が飲みたい人には「甘いのがいい? 辛いのがいい? どういう味が好き? これくらいの味はどう?」と、いくつかワインの味見をしながら、じっくり話して決めていく。

味見をしていると「素人だし、ワインの味はよくわからねー」という農家の人も多いという。「何もフランスのワインがすべてじゃない。自分がおいしいと思う味覚を信じて欲しい」と、村田さんは応じる。

日本のワイン文化度はなぜ低いか

ワインに苦手意識を感じてしまう日本人は少なくない。
「あまりおいしくないな」と感じても、「これがワインの一級品なんです」と言われれば「なるほど。勉強になりました」と納得し、逆に「おいしい」と思っても「こんなのはワインとは言えないな」という一言で、ショボンとなってしまう。

それはワインの世界の「基準」がそうさせているのだ、と村田さんは言う。

「ワインの評価は、ヨーロッパのぶどうの種類や産地などで決まります。だから、その基準にあったワインを作ろうと思えば、当然ヨーロッパのぶどうを輸入するしかなくなってしまう」

実際、日本で作られたワインも大半はヨーロッパの輸入ぶどうで作られており、純国産ぶどうで作られたものは2割ほどしかない。

「しかし、そこは発想を転換しないと。ワインというのは、果実酒です。畑でできた果物を発酵させてお酒にする。飲んで周りの人が楽しんだり、お金に換えてその土地が潤うといったシンプルなスタイルのはずです。日本のぶどうで作ったワインを、日本人が食事とともに飲んで『おいしい』と思えば、それでいい。日本のぶどうで作ったものとフランスのぶどうで作ったものとでは、ぶどうの種類が違うのだから、味が違うのは当然のことなんです」

知識・教養でワインを語るのではなく、自分の味覚や嗜好を信じて楽しむ。そして、ワインが手軽に普段の生活に入り込んでくれれば、日本のワイン文化が根付くのではないか。そう村田さんは考えている。

伊那ワイン工房の「ナイアガラ」と「富士の雫」を飲んでみた。ふわっとぶどうの香りが広がる「ナイアガラ」、真紅の色から想像する味と少し違う、酸味が特徴の「富士の雫」。とくに「富士の雫」は、山ぶどうとカベルネソービニオン(フランスのワイン専用品種の国産品)との交配によるぶどう『富士の雫』から作られた逸品だ。いずれもとても爽やかで、飲みやすい。ラベルはシンプルでわかりやすく、価格もリーズナブル。とてもおいしくいただいた。

こだわりのオーダーメイド。
次第に増えるワイン好きの人々

「フランスのものに近いのを作ってくれないか」と言われることもある。以前、伊那市の飲食店数店舗からシードル(りんごから作るスパークリングワイン)の依頼を受けたことがあった。フランスで修行を積んだシェフが「日本のシードルは甘すぎる。本場のシードルに合う料理を提供したいので、フランスのシードルに近いものを作って欲しい」と言ってきたのだという。その注文に従って作った村田さんのシードルは、伊那市の飲食店で大いにもてはやされた。

そして、ワイン工房も2年目になると「よくわからねー」と言っていた件の農家の人たちがまた、やってくる。
「去年のより、もっと本格的なものがいいな」
そうやって農家の人たちが訪れてくるのを、村田さんは楽しみに待っている。また、味見をしながら話し合いだ。

「去年は、あんたんとこのぶどうは、品種は○○だったでしょ。で、こんな味にしてたけど、もう少し違うのにしたいの? ふんふん、どんな感じに?」

まるで医者がカルテを手に問診するように、誠実に聞き取っていく。

「渋みはどのくらい残す?」
「もう少し辛口がいいのかい?」
「よし。じゃあ今年はこの味で行こうか」

通常のメーカーであれば、担当営業や製造担当者など、間に何人も入ることでいつしか、味や作り方は微妙に変わっていってしまう。
「だから社長、技術屋、営業が一人じゃないとできないシステムなんですよ」と村田さんは笑う。

伊那ワイン工房のワインは、「ひとり社長」が何もかもやることで初めて実現可能な、こだわりのオーダーメイドワインなのだ。

かくして、伊那ワイン工房を訪れる人々は、年々ワイン好きになっていく。毎年、畑を見ながら「このぶどうがあんなふうにワインになるんだ」と目で知り、肌で知り、手で知り、味で知っていくのだから、当然のことだろう。

現在契約している農家は40余。3期目に入ったが、更新しなかった農家はひとつもないのが、村田さんのささやかな自慢だ。

ワインを中心に、
それぞれのプロが自らの職業に誇りをもつ

「ワイナリーを作る」という夢は叶った。
「ひとり社長として、農家のおじさん相手に話しながらワインを作っていくという今のスタイルが一番幸せです」と語る。

次の夢は、何だろう。

「農家のみなさんが、それぞれ自分の畑の果実からできたワインで、少しでも商売ができて潤ってくれればいいですねえ」

村田さんは目を細める。

「たとえば『フランスのワイン用の品種を栽培して、ワインコンクールで1位取ってみてえな』といった農家や、『おらのぶどうで全国展開!』と言い出す農家が出てきてもいい。飲食店にもいろいろなニーズが生まれてくるはずです。ワイナリーも、うちだけではなく、他にもできてくるかもしれない。農家の人たちの選択肢がいろいろと増えつつも、『やっぱり村田のところに今年も頼もう』と毎年思ってくれる人が一定数いてくれたら、それが一番いいですねえ」

農家、ワイナリー、飲食店……。それぞれのプロたちが、ワインを中心にして、それぞれの職業に誇りをもつ。そのことで、地域の経済や個々の人生が豊かになっていく。

それが村田さんの目指す夢なのだ。

(取材・文:宗像陽子 写真:金田邦男)

伊那ワイン工房

http://inawine.net/

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